生きる場
第一部「溝の中で」
オスカー・ワイルドの文書に
「我々は皆、溝の中にいる。その中の何人かは星を仰いでいる。」とあります。
我々にはあまり馴染みのない言い方でありますが。
この溝の中で一生懸命のらりくらりと暮らしているヒト。
文字通り溝の中に棲んでいるミミズやゴカイと比較して高等動物であるヒトは
どのように洗練された理解力をもって天を仰ぎ見ているのでしょう。
まず、溝の中で生きているという自覚があるかどうか。
少数の星を仰いでいる人の側にいるのか。
さらに、溝から脱出して新しい進化した生命でいきれるのか、
生きるのか、問います。
第二部「愛は愛の空間を生成する」
愛という言葉があり、詩は書かれ、様々な音楽の主題になり・・・
大事な、忘れてはいけない、愛です。
しかしながら愛は愛のままにあらわされているのかということになると、
まったく知らない世界のようにみうけられます。
なかなか感じるということだけでも厳しいです。
愛は愛の空間を生成します。
しかも、時間すら超えてしまいます。
今日ここで行われているコンサートは
困難な世界にどのようにとどくでしょう。
しかも「同時」にです。
愛は愛の空間を生成します。
本日のコンサートメッセージも大変タイムリーな内容で助かりました。昨夜は、「高句麗伝説」が終わった後に空間が墨色をし、霊魂がうごめいていました。寂しさ、悲しみ、辛さ、言うに言えない苦しみを感じました。眠っている時胸が苦しくて、叫びました。発狂しそうな苦しみでした。朝は胸に打撃を受けたように痛んでいました。地に埋もれる魂、海に沈む魂は表に現れたと見えましたが、一斉に出てきたのだと自分では受け止めていました。が、苦しいものです。昼間は生きていくことが辛く大変な状態となってしまい、コンサートがあるので、我慢し向かうことで精一杯でした。本日のコンサートメッセージ「溝にいる」と言う状態は感覚的にもよくわかりました。「星を仰いでいる」ということもわかります。そして演奏中は「溝から脱出し、新しい生命に進化」したいと切望し必死で祈るようにし演奏を聴かせていただきました。一部は星空と私はひとつでした。救われた感覚でした。第2部「愛は愛の空間を生成する」と3度出てきた言葉を心の中で言いながら演奏をお聴きしました。昨夜の霊魂に苦しんだ苦しみが蘇り、生きていくことが大変と感じてしまい、すべてが辛く感じることを何とかしたく祈るようにお聴きしました。思わず「たすけてください」と祈っていました。霊魂、霊界は行き場がなくなっていることを生命をもってわかりました。気が狂うよりない苦しみを感じます。毎日生きるこの世も霊界のように感じます。行き場がありません。壁がはだかり、真に溝にいるようです。何としても抜け出したく、必死でピアノの音をお聴きしました。後半の愛の演奏に行き場を感じ、やっと心が落ち着きました。ここでなら生きていけます。同時に戦場にいる感覚にもなりました。「ここで行われているコンサートは困難な国にどのようにとどくのでしょう」とのメッセージを思い出し、戦場に届いていると感じ、安堵しました。行き場のない世界でここでなら生きていけると感じた愛の空間は場を超え、世界中に届いています。ありがたくて涙滲みます。私もやっと引き上げられ、霊魂や霊界の次元を超えました。目に前にはおおいなる存在を見ました。愛の空間はおおいなる存在あらわる世界です。そして皆の生命はひとつにつながっていました。ここで生きていくと行き場をみつけ、生きる力が生まれました。愛よりないと身をもってわかりました。世界に届いたことがうれしいです。明日も三鷹光のホールにて先生のコンサートがあるので生きていけます。明日も世界に届きますように。。。皆様と集えますように。。。ありがとうございます。