生きるということ
訃報を知り、なんと表現をしていいのか迷っていましたが、ご家族の方、高麗さんの書込みを読ませて頂きました。必ずイダキのイベントではご家族の姿をお見かけし、ご挨拶や一言二言の会話でしたが、同じ場に参加する者として、お身体が少しでもよくなってほしいと言う気持ちでした。最期の様子がご家族、先生に支えられて旅立ちとなった事、、、人間の尊さ、存在の尊さ、先生の働きを深く感じ入りました。心からお祈り申し上げます。
昨日のアントレプレヌールサロンをありがとうございました。子供を育てる為に働き、家族のために生きて、その子供がある程度大学に入り巣立った後、、まるで私の事でしょう、、と苦笑しかありませんでした。貧乏どころか窮乏化する日本。日本の平均年収は先進国では低く、もう何年も同じ状態が続いています。同じ状態は落ちているということは肌身で感じてました。起業が希望になること、動機は偶然にある事など、今我家で話している事に重なります。また世界の事を考える事、、レバノンに居るシリア難民の方々への支援は私もやらせて頂きたい事です。自分の子供たちを育て、ようやく子供の子供、その次の世代のことを考えられるようになり、自分の人生に限りがある事を考え始めました。無我夢中であったこの20年間で年齢を重ねたことすらどこか忘れていた自分に、人生を考える術もなかったと呆れてしまいます。アントレプレヌールサロンでは生きている私にはまだやる事があると感じ、この世に生きている限り行動しようと新たな気持ちになりました。ありがとうございます。
本日の渋谷コンサートにも参加させていたます。どうぞよろしくお願いします。