生きとし生けるもの
存在論の帰り道、ハロウィンで仮装している人々で、渋谷はごった返しでした。電車の乗り換えもままならない中、つい考えてしまいました。私の中にはハロウィンの概念がなく興味もありませんでしたが、たまたま調べてみて驚きました。分かれば何故この時期かも納得しました。商業ベースで一大イベントとなり、大騒ぎしているこの大勢の人たちにとって、単なるお祭り騒ぎなのでしょうか。翌朝の残念なニュースを見て、暗澹たる思いでいました。
そんな折、昨夜のコンサート第一部は「まつり」とお聞きし、本当の「まつり」を分かりたい一心で臨みました。第一音で分かる生命の響きです。怖いくらいに抜ける真っ青な空の下、小さな一石が投じられるかのように真っ直ぐに、深奥に貫く響き、本質が見えます。生きとし生けるもの、真髄に触れ心震える世界です。
第二部「高句麗の今」メッセージをお聞きしただけで、これ以上の緊張があるかと思うほどに緊張し、とにかく姿勢を正して座ることに集中しました。今までに耳にしたことがない音が聞こえた時、思わず耳を疑い、空耳かと思うほどの音が突然聞こえ驚きました。その音は、確たる存在現る音として再び、はっきりと聞こえた瞬間、高麗さんが仰る「高句麗の父」のあの映像が明確に見え、武者震いが起こりました。あとの事は、何一つ覚えておらずアンコールとなっていました。
とんでもないことが起こりました。昨夜、先生が「大きく変わるよ」と仰った言葉が蘇ります。
会場を出ると、強い風に見舞われました。吹く風を受けた時、三鷹の風は高句麗の風と感じ、その体感は強さとやさしさに包まれます。ですが、一歩間違えると足元をすくわれ、一歩一歩大地を踏みしめ、確実に歩むことを身をもって経験した駅までの道のりです。共に歩いた方とその気持ちを共感しあい、言葉にすることが嬉しく幸せです。ありがとうございます。