KEIKO KOMA Webサロン

生きて脱皮する時


仙台から盛岡に来ました。午後の光を受け、輝く木々、川の流れ、山々が見える家の窓辺に立つ時、言いようのない喜びが生まれます。風に揺れるマーブリングのカーテンを見ていると、えも言われぬ程の美しい女性を感じ、魅せられます。人間とし真っ当に生きる時代となり、世界が平和であれば、美し山河を眺め、豊かな自然のエネルギーに抱かれ、幸せに生きていけるでしょう、と想いを馳せる程に、ここは美しい地であります。今月もこの地に来ることができ、ありがたいです。盛岡のお守りとなる先生が作ってくださいました器も持って参りました。とても力強く、勇気づけられます。             応用コースのお話はあまりにタイムリーなお話にいつもながら驚き、感服しました。昨夜、郡山から仙台に帰り、辛さを感じることがあり、心澄まし、目を閉じ、自分の状態を調べ、考えました。過去に原因を辿っても拉致があかないことを知りました。今の状態を改善するよりないと気づき、感覚を言葉にしました。悲しみと声に出すと、違うことは明らかにわかります。恨みもありません。苦しいと声を出すと、体の感覚と言葉が合っていることを自覚しました。が、苦しさと言うと正確でした。先生にお会いした時に、「さ」はそれらしいことと教えていただきました。やさしい、のであってやさしさはらしく作っているとお聞きし、一音の大切さを体で覚えました。一音変われば、まるで違う状態なのです。正確に表現すると変わる事を経験していますので、体の感覚を正確に言葉に表すことで、自分の状態を自覚しました。苦しさですので、苦しそうなことを苦しいと覚えただけであり、本当に苦しい訳ではないと気づき、受け止めました。夜眠っている時に見た夢は辛い夢でした。私は生きて生まれ変わらないと生きていけないことを生命をもって感じています。夢でも完全に脱皮しないと滅ぶとわかりました。東京の応用コースにて、感受性、感覚、意識のお話をお聞き出来、生きるか死ぬかの要のお話とわかりました。わかるにつれ、このことがわからなければ、終わっていくとも身をもってわかり、絶滅種であり人類の滅亡の危機にある今は、自分も滅亡する人類の一人であることは甚く身に沁み感じています。生きるか否かの要のお話を今日も応用コースにてお聞き出来、大きく抜け出せました。意識と意識的の違いは、体でわかりました。的の元の由来は漢語の「的」とお聞きし、驚きました。私はそれらしいことと捉えていたので、まさか的であるとは驚きでした。が、今は、。。。のようなこととお話いただき、合点がいきます。偽物であるとは、深くわかることであります。その瞬間、3歳の頃に大空を見、昔この空を見ていた人は今、何処にいるのか、人間が生まれてくることの意味、生きる事の意味、死んだ後のことを考え、人間としどう生きていけば良いのかがわからないと今日一日をどう生きて良いかわからないと心の底から感じ、本当のことをわかっている人に会えれば生きていけると胸の内に生まれた希望の光があったので先生にお会い出来るまで生きてこれた人生の道が見えました。意識出来たから生きてこれたのです。先生にお会いしてからは、子供の頃に感じたこと、考えたことが真であったと気づく連続でした。本当のことは生命の奥に押し込め、表に色々な覆いをかぶしてしまったと見えました。意識的というのは、真を隠し、覆ってきた曇りとなり今も尚、体に残っています。最近のコンサートにて、この曇りを先生が掻き出して下さっていることも見え、感じ、とても自分ではできないことをコンサートにて、抜け出していけますことのありがたさが身に沁みています。それは生きるか死ぬかがかかっている時であるが故に、生命に沁み、助けられていることがわかります。生命の内に流れる光の道を意識とするなら、光を隠し、覆っている闇が意識的と見えるのです。わかることで抜け出せ、これ以上自分で自分の生命を曇らすことはしないと、抜け出し口が見えました。 道中も、先生がおっしゃた「生きて脱皮するより生き延びていけない」とのお言葉が心に沁みます。同じ言葉を昨夜皆様へのお手紙に書いていたのです。先生がおっしゃるように死んで抜け出しても意味がなく、絶滅種である一人一人が生きて脱皮していくより生き延びていけないのです。 ここには書き尽くせませんが、昨夜から今朝、このことを真剣に考えていました。夢に見たことからも、自分で考えた末に行き着いた事からも、11月1日は、おおいなるはたらきかけにより示されたことがよくわかりました。生きて脱皮するチャンスはここ、とはっきりと見えました。コンサートチケット販売がこの世の修行です。感受性、感覚を養う最高の修行の場です。人間でなければ売れず、共感出来た時にその方の手にチケットが渡るのです。人間となる最高の修行の機会をおおいなる存在に与えていただいたことにこの度も生命拾いさせていただいたと胸撫で下ろします。この場に及んでは、これ以上変われないと生命はないとは甚く感じていました。また、最近は共に働く人や活動する人と気持ちも言葉も通じないことが限界となっています。何を頼んでも違う物を用意され、間違われ、まるでいじわるされているようにしか感じられなくなり、なんとかせねばならぬと考えていました。が、皆気持ちはあり、一生懸命なので、どうして良いかわからないと感じ、言うことを控えていましたが、郡山での「高句麗伝説」後には体に違和感とし残っていました。修行が出来ていない故と自分なりに答えを見出し、今後は共に活動する人はコンサートチケット販売の修行をする人よりないと行き着きました。修行をする気になる人は、人間とし生きることを望み、世界の平和を考えているとわかります。滅び行く人は、それどころではなく、生活する為にはたらくことで精一杯となります。応用コースにて、人間は定住し生きる生命ではないのに、お米や麦を作るようになり、定住するようになり、生きる為にはたらくことに追われるとお聞きし、正に現代人の有り様となっていますので、滅ぶ人種であるとわかります。元より、先生に出会い、行っていることがわかれば、全ての人にお伝えしたいと欲することが生命の要求と感じてきました。自分一人で、人に内緒で参加するコンサートではなく、世界中の人にお伝えすることを自ずと望むと感じてきました。今日の応用コースでも病気治しはしないとはっきりとおっしゃておられましたが、先生に出会い、自分のことだけに留めている状態は病気治しはしないとおっしゃておられる先生のお気持ちに反していると感じ、共に活動する人がこの状態であれば、真を隠しているようなものと見えるのです。一人一人の人生ですので、自分で決めることであることは重々承知していますが、今日の応用コースにてお話いただきましたように絶滅種であり、滅亡の危機となっている今、皆で生きていけるように、生命あり脱皮していきたい気持ちで、留まっていることはやめ、動いていきたいと考えます。私は仙台コンサートに向かい脱皮する事に向かいます。盛岡での「高句麗伝説」へ向かい、表現すべきは表現し、向かいたく、早速修行のミーテイングをさせていただきました。猶予がないと見える今、なんでもすぐに実行し、動きを創っていきます。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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盛岡市民文化ホール 大ホールにて
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レバノンより
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高麗恵子スカイロケットセンターにて-2