KEIKO KOMA Webサロン

生きている時間


2日間の「高句麗伝説」を終え、三鷹の地にて「死について」のお話を伺うことを「高句麗伝説」の前にはこの日を楽しみにしていました。大きな山を越えた先には、人生で最も大切な「死」についてを学ぶ尊い機会がありその一席に座らせていただけますことがありがたく、この機会があるから乗り越えていこうと、日々コンサートのお勧めをさせていただいてきました。

車を2台汗だくとなり洗車し、気分はすっきりでしたが、バックの中にポットに入れておいたコーヒーを全部こぼしてしまい、バックから何から全部を洗い、時間ぎりぎりで少し動転し、会場に向かい、一席に座らせていただきました。先生のお話しがはじまると動転している時とは聞こえる音も感じる風も空気も違います。ここで生きていかねば、何のために生まれてきた人生かわからなくなると身をもって感じ、普段のあり方を見直します。

人間は確実に死を迎えることを先生がおっしゃる度に心に受け止めます。死を考え、生きることは知識人であってもしていないので、いだきには来れないことをお聞きしながら、死についてのお話しをお聞きし、学び、考えることは哲学であり、今の時代においては稀なことなのだということをしみじみ考えました。普通は親が先に死に、相続や相続税のことからやることがたくさんあるとは、自分も今となっては経験してきたことです。が、精神状態も体もおかしくなる程大変なことでした。先生の「死について」のお話しを聞く機会があったら良かったと今になればそう感じます。今日のように必ず迎える死を考えるお話は、どれだけ助かることでしょう。

死をもって自分の時間は終わるということを深く考えます。今日もふと感じていたのですが、私は先生の講座、コンサート、「高句麗伝説」を経験させていただくと、自分は永遠に生きるように感じます。今はこの世の年齢によって人生を考えることもなくなり、いつもゼロスタートで始める気持ちでいます。今はパリに行き、ゼロからはじめていく気で準備しています。いつも14歳の時に先生に出会えていれば人生はまるで変わっていたと感じているのですが、未だに14歳の気で生きているのです。ロシアに拠点を作りたい気持ちで生き始めた時も14歳の気でいるのです。年齢は気にせず、やりたいことをやりきるとは先生からもお聞きしていますので、その気で生きています。「高句麗伝説」をさせていただくことで、魂のメッセージを詩に詠ませていただける機会をいただき、魂は永遠とわかります。そして生命ある時に真を生きた魂は、未来に生きる人が生きていく道となっていることに気づくことが多いのです。15日には初めて戦死した叔父の魂に出会い、どんな人だったのかを感じるようになりました。自分では認識したことがなかったことを申し訳なく思いますが、人が良かったということを感じた時、私が先生に出会えるようにはたらいてくださったお一人であったと初めて気づいたのです。未来に生きる人が、人間とし生きていけるならば、真を生きた過去に生きた一人一人は、共に生きているようにし、力となり支えとなっていけることを、「高句麗伝説」では生命をもって感じるのです。人間とし真を生きることが生きることと考え、生きています。

死をもって自分の時間が終わるとの先生のお言葉を考えながら、車を運転していると、道を歩く若い女性の後ろ姿を見、終わリゆくと見えました。この人の時間は終わりに向かっていると見え、ぞっとしました。年が若くても終わりに向かい生きる人生を生きているのだと見えました。隣に座っている笑美ちゃんと話しながら帰る道、存在を表すことなくしては病気は治らないということを多くの人のことを考えながら話していました。先生は時間が合っていれば具合が悪いところもよく成るとお話くださいました。同時に、病院に行き、処方される薬を飲んで、その時は助けられているように思っても、終わりに近づいているのかも知れないとのお話もしてくださいました。薬はひとつの例えですので、医者にも行かず、薬も飲まない私は毎日終わりに近づき生きているか、否かを考えました。改善すべき習慣や癖が見えてきます。今日のように出がけにコーヒーをこぼし、バタバタと動くことは改善せねばならないことです。終わりに近づくように生きるのではなく、存在を表し、超越経験の連続であれば、真の意味で「生きている」時間となると考えます。私はいだきを始めさせていただき、いだきの仕事をさせていただいているので、はたらきながら病気も治り、具合が悪くても休むことなく、はたらくことで治ってきました。人間とし生きている故とは甚く感謝することです。いだきの仕事は人間でない時は成っていかないからです。人間とし生きていないと出来ない仕事をさせていただいているのではたらくことで体も良くなり、目の前の問題も問題ではなくなり、先を作っていけます。今日は、人間とし生きている時間を生きていくことを考えました。終わりに近づく時間を生きていくことは生まれてきた意味がない人生となってしまいます。時間が合うとはいつも自然のはたらきから教えていただきます。昨夜も高句麗伝説が終わり、会場を出た時に見た夜空のあまりに神秘的な美しさに目を見張りました。そして空とひかつの満月の美しいことに生きていることの喜びがあふれてきました。時間が合うと生きていけます。

デイーサービスのこともケアのことも学ばせていただくお話に感謝します。ケアーは難しいといつも感じています。が、先生のお話により学べます機会があり、人間となっていけますことがありがたいです。続くジェンダー講座があり、ありがたいです。「高句麗伝説」は知能が上がる経験となるとアントレプレヌールサロンの時にお聞きしていましたので、当日も知能のことを考えながら臨ませていただきました。今まで認識することもなかった存在、生き物を認識できる経験となり、戦死した叔父のことも少しわかるようになり、私にとっては今まで影のような存在であった存在を認識できるようになれたことは喜びであり未来への希望となっています。この状態でゼロスタートから新しいことをはじめてみます。世界の平和を実現したいです。そして悲願は成るとはっきりと見えた「高句麗伝説」の経験を今後どのように実現できるかを考えることは胸がときめきます。ありがとうございます。

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