生きた言葉
高句麗伝説に向かって、一音、一句が全てを賭けて表現してくださる場に伺う時、自分の一言にも無駄や迷いがあるべきでないと糾されます。それは只一言ひと事吟味して時間をかけるということでも無い事は高句麗伝説での一瞬の表現、音の展開に体感します。webサロンでも、説明では無い集中して書かれた言葉に出会い、内側から豊かでないと日本語という豊かな言語は紡がれるものではないと学びました。身体と言葉が一つにあり言葉によって内が糾されたり力が湧き人にも届くのは、他の言語とは生まれ方が違うのだと体感します。
高句麗伝説に向かって一同で日に日に元気になり、「音楽と詩とコーヒーの香り」を現す場づくりをする事で治療中の家族も筋力、生命力が増したことを瞳の色と光に見ました。体は万全でないと吹き飛ぶエネルギーとは明らかです。
明日はこの世の全てを超えた表現に出会える事を宇宙が生まれる前からの全てが心待ちにする夜の気配です。
今までと違う時間に生き、風に触れ、狛江に向かいます。