生かされている生命
起き抜けにまたリアルな夢を見ました。私にとって、はじめての人生の出会いともいえる恩師が現れた夢でした。まだ高校生の17才の出会いは、恩師が亡くなった今もいのちは共にあったような懐かしい夢ではありましたが、新たなステップを超えるために恩師が用意していたのはビルの屋上からのジャンプでした。新たなステップを超えるにはビルの屋上からジャンプしないと超えることはできないのです。恩師は私が飛ぶのを待っています。共に飛びたつビルから下を見ると、あまりに高く、鳥になって飛ぶような高さは怖すぎてどうしても飛ぶことができません、、あまりにリアルな体感で目が覚めました。
楽しくやればいいじゃない、ピアノの音がそう語ったように聴こえた2部のはじまりから、とちゅう、頭の解釈もはじまりましたが、解釈はやめようと、できるできないに関わらず、やめようと決めました。決めた直後から先生のピアノの音に体が共鳴するのを感じていきました。体はそのまま、頭が自分のことを規制したり枠を嵌め自分を見ているのです。自分を変えるのは高層ビルから飛び降りるような怖いことと頭のどこかで縛っている不自由さは本当は無いのです。自由を規制するのは、過去の癖、過去の不自由な頭の使い方、夢はその現れ、コンサートでは光は自由に飛びかい、そのスピードはあまりに高速で、とびきり楽しく、これ以上ない純粋な水の流れに、善を感じるのです。善は最も純粋と知ります。そして深い愛の音に癒されて、右の目からしずかに涙が頬を伝い、父のことを想いました。父から、全体へ、そして、大自然のなかで、生かされている生命がありました。
8月1日、素晴らしいコンサートをありがとうございます。