理解すること
今日も、大変尊い「存在論」を経験させて頂き、感謝申し上げます。「存在論」の間中、深く考え、終わった今も考えています。私の意識は自分のことを真逆に捉えることがあります。自分で自分を殺すようなものだと気付きながら、いつからなのか、原因を掘り下げ考え続けてきましたが、わかることがなく、動くことが答えと考え、答えを見出せる時を待ってきました。いよいよ限界であったと感じます。自分のことを正確に理解しないと生きていけない苦しみを感じてきました。自分のことをわかることと先生が生命賭け伝えてくださっている人間とは何かを正確に理解することはひとつです。今日の「存在論」でのお話は正確に理解していかないと生きていけないことを甚く感じています。先生のお話を理解することは自分のことを真逆に捉える意識が変わる時と気付き、生きていけると感謝と喜びが生まれています。常に生きていけるように導いてくださっていることに深く感謝します。
存在論にて、哲学では本来の人は無人ということが気に入らないと先生はおっしゃいました。それはそうです、と頷きます。人間の生命の内には親や先祖代々受け継いだ運命があります。無人にはなり得ません。私のこともお話くださり、私の内には高句麗の歴史があり、高句麗の歴史を紐解いていただくことなくして私の生命は助かることがなかったのです。高句麗の歴史イコール高麗恵子とお聞きした時には、全身が泣いていました。無人ではないので現存在とし生きていけない人生は悲しいと一瞬感じたのです。が、私は先生に出会い、運命を解放して頂き、何もなくなったのです。この事実を今更ながら正確に理解し、先へ行かねばならぬと原点に戻りました。それは、先生が高句麗を表現してくださる時、高句麗の地に立つ時、言いようのない喜びと力が内から湧きいずるのです。内から生まれる力であるのに、内に高句麗があるので、力が湧いてくると思うことがありました。内にある過去から受け継いだもので動く時の苦しみは死へと繋がっています。内から生まれる力と内にある過去から受け継いだもので動く違いは生と死の違いがあります。いだき講座にて運命が解放され、母の胎内に発生した瞬間に見える光こそが、四方八方に光を放ち、空間と一体である無人であるとのお言葉が今更ながら、全ての抜け出し口であり、全ての根源解決であり、生きる唯一の希望であります。内から生まれる力は無限であり、可能性も無限であります。この状態で物事を行えば、悲願も実現すると先生からおっしゃって頂き、最近自覚し始めた苦しみの原因がわかりました。意識が真逆であれば苦しいことは当たり前です。それでも生きていれることは真にありがたいことと感謝します。真逆であった意識がそのまま働けば、無限な力と可能性が生まれます。悲願を実現できる状態となることが実現への道です。人間の生命の内面が変わることが革命とのお言葉が改めて深く理解できます。良い世の中を作りたく、世界の平和を実現したい気持ちを実現するには、実現できる人間となり生きることが始まりです。正確にわかることが始まりとよくわかり、今後は正確に理解し、動きます。ありがとうございます。
1月11日「高句麗伝説」が完売となりました。ありがとうございます。