王様
狛江での高句麗伝説、誠にありがとうございました。ウクライナの方々の二列後方にて、参加させていただきました。つくづくと、先生と高麗さんと同じ日本語を使う自分であることの幸運を感じました。日本語の言葉の息吹、間合いに籠るエネルギー、選択される語彙。微妙なニュアンスまでも、日本語を扱うものとして、感じ取ることが出来るのは、運がいいとしか思えません。もちろん、先生は様々な楽器を駆使されて言葉を必要とせず、また高麗さんの紡ぐ言葉は、音として世界を包み、言葉の限界すらも超えているのは重々承知しております。それでも、と思うのです。私が他の国の人間であったなら、どれほどもどかしく思ったろう、と。
さて。ホントに素晴らしい素晴らしい素晴らしい高句麗伝説でした。先生の演奏は全て新しく!! 人間は、ずっと進化していくことがホントは出来るのだと信じられる素晴らしい演奏でした。現状維持は退化である。これを身に刻みまた私も進んで参ります。いつものことですが、大好きな好太王さまの詩は、始まる前、先生の演奏第一音で、あ、好太王さまだ、とわかりました。強くて心大きな優しい好太王さまにまたお会いできて幸せでした。そして今回初めて東明王さまの演奏が始まった直後から、悲しみで全身が満ちる感覚がありました。全身震わせて泣きました。東明王さまの悲しみのほんの僅かではありますが、身体を通して知ることができました。この悲しみが、良い国を作るエネルギーになったなんて。。悲しみを知る人は、やることがあるとおっしゃった先生。今ようやくその深い意味が、真の意味がわかりました。王様や高麗さんの悲しみ。その万分の1にも満たない感受性ではありますが、私のなかにある悲しみは、先生に受け入れていただき、悲しみのままではなく、愛に変えて生きていく力となっていると感じます。そういうふうに生きていきたいと願います。尊い高句麗伝説、誠にありがとうございました。