KEIKO KOMA Webサロン

狛江の経験


狛江でのコンサート、応用コースをありがとうございました。私にとって正にタイムリーなテーマでした。自分の課題と状態が浮き彫りになり、私自身にとって乗り越えたい事の核心でした。
ものの価値の媒介としての貨幣それ自体が価値となり変わりお金の為に働くことが当たり前に行われる社会で、お金のことは未だに私にとって課題でした。私の父はバリバリのサラリーマンで、母は専業主婦でした。父は仕事をしている頃は頑なですぐ暴力をふるいました。家族に「ぶちあけている」状態だったと思います。が、仕事を辞めると人が変わったように優しくなりました。母は父と離婚してからはまともに働かず、人のお金で生きています。母はいだきを受け色々なことを訴えました。母の気持ちはわかります。が、それが父や周りの人に支えられてきたもので成り立っているのに、それを批判はするがお金は借りる、それで自分でどうするということもないという本末転倒な状況になっていると感じました。それでは回らないと感じていました。父のことも母のことも見てきた私は、どうしたらいいのか常に考えてきました。本当のことは正面から当たって乗り越えていくしかないのだとわかっています。私は未だにそれができません。母のことや、いだきに行ってもお金のことで困っている人が多い事も怖く感じました。
今年の10月叔母が亡くなりました。叔母は身を費やして働き、とても素晴らしい人でしたが、病気になりました。叔母は常に綺麗なものだけ見、綺麗な心でいようとしていました。そうしようと努力している状態、苦しくても敢えて綺麗なものだけ見るように仕向けている状態が端々に感じられ、それがまさに疎外なのだと思い当たりました。そしてやはり時々爆発していました。
今の体制の中で生きていくことが、先のないことだとわかります。間違っているかもしれませんが、その中で愛を実現する為には、共通の目的に向かい続けることしかないのかと考えました。
応用コースでのぶちあけるのお話、私はぶちあけることは良いことだと思っていました。それが率直で良い手段だと思っていました。大切な人にぶちあけることは論外、大人ならそうならないように生きると聞いて今まで聞いてきたこと、お金のことも疎外のこともつながり、いだきで生きるという事がどういうことか、深く考えています。まだわかったと言えませんが糸口です。
私は母の娘です。母が否定し拒絶し続けることは何なのでしょうか。いだきを受け離婚する方は多くいると聞きました。親子の縁も切れるのでしょうか。母は全て切っていこうとします。私はそれが10年間わかりません。
これからコンサートがいよいよ続くのでしょう。私は悪い人間です。ですが嘘をつく気はありません。自身のことも一切含め嘘、欺瞞、事実と違うもの、全て全てが消えさればいいと心から望みます。

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山元町 結工房にて
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熱情第四弾
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盛岡にて