物神化 疎外された愛
物神化と疎外された愛、狛江コンサートと応用コースに参加させていただきました。第一部のメッセージの物神化は聴き慣れない言葉で、直ぐに漢字変換ができずスマートフォンで調べてもらい、初めてわかりました。今は全てが明らかになり、お金や物に対して人があからさまになる様子があり、お金や物により命をも犠牲になる世の中に、時に耳を塞ぎたくなる気持ちがあります。物やお金が神のようになりコントロールされてしまう人、それが剥き出しになった時、人は醜いと感じ離れました。物神化は更に第二部の疎外された愛にも繋がります。内面にある物が外側に出ていき動かされてしまうことも、自他共に経験した事でした。疎外されているからこそ愛も、お金も、仕事がうまく行かないことも繋がるとは、頷きながらも驚きがあります。疎外されても痛みも何も感じなくなっている人には、それが疎外とは思わず、ある結末を迎えた時にわかることなのでしょうか。愛と言いながらも広がらない関係、続かない関係、囚われている事、、などなど疎外は確かに外側に出ているので、側から見てもわかりやすく、人はみえない糸に操られているようです。嘘つきはだめ、と何度も言われた事が心に残ります。小さな子供を前にして、嘘で裏切る事はできない、しかしコンサートに行きいい経験をしながらも、一歩外に出るとどんどん中心から離れて行く経験を何十回、何百回としているのだろうかと、メッセージをお聴きしながらぼんやりと考えました。応用コースで質問者の方がされていた内面がわかる感性を、ただその場にいる事で潰してしまう厚顔無恥な大人にはなりたくないと、切に感じました。自分の内面が外へ外へ出てしまい、そしてそれにより精神の病になることがわかり、以前言われていた「表現できることが全て」の意味がようやくわかった応用コースでした。言葉を正しく表現する事が内面を現すことに繋がり、実現する事に繋がることが、身体の中ではらりと木の葉が落ちていくように変化しました。
今日から始まる連日のコンサートですが、今の世の中で大切な連続コンサートと感じます。何卒よろしくお願いします。ありがとうございます。