無事に集えますように
自分のことがわからない苦しみをずっと放置して、身体をボロボロにしてきました。
わかりたくないから、わからないようにしていた、何かのせいにしていた、というのも今ならよく分かります。
コンサートや講座、高麗さんのビデオ講演会や催しに単にいるだけでは何もならない。自分でやろうとしなければ、前に進めないのだとよくわかりました。一方で、取り組むと驚くほどに道が開ける。その時は怖いけど、認めたら、余計なものは、なくなるのもよくわかった今年です。
一昨日のコーヒーセレモニーは、そのことがよりよくわかる経験でした。
家を出る前に、玄牝の玄を辞書で引きました。読んでいると、涙が込み上げ泣きました。温かく心地よい涙が流れました。今までは、冷たく寂しい涙ばかりでしたので、こんなにも幸せな涙があるのかと驚きました。身体が変わっているのもわかり、高句麗伝説は既に始まっていると感じます。
先生、高麗さん、有難うございます。
皆様と無事に集えますように。
ドキドキしながら楽しみに向かっています。
