激動の高句麗伝説
琵琶湖の高句麗伝説では、先生と高麗さんの気迫伝わり、1時間半の間に、自分の知らない果てない時空にタイムトラベルした体感でした。それは太古でもあり、未来でもあるのです。
京都の高句麗伝説は、私にとっては、高麗さんのお声が今までで一番そのまま聴こえました事が、先ず何より嬉しかったです。先生の演奏と高麗さんの詩に、母の胎内、ふるさとに抱かれ、何かが始まる予感が迫り、その時を待ちました。
他の方の書きこみに「麗花から高句麗伝説」と表現されていましたが、新たな伝説の始まりの宣言と受けとめました。重い扉が開く時の表現に圧倒され、宇治の詩で詠まれた、古の美しい女性の姿も、私には高麗恵子さんの御姿に重なります。
もう随分前のカフェ哲でのお話の続きを伺える待ちに待ったその時が、ふいにやってくることを経験し、立ち上がりたいほど歓喜しました。
若光王様の詩を聴く時、若光王様が現れ、高麗さんが、イエスキリストをも呼べる方だと伺っている事を昨日ほどリアルに体感したことはなかったです。
先生の粋なお着物姿や、高麗さんの御姿の美しさにも毎回ときめき、高麗さんの御両親もさぞかし喜んでおられると感じていたら、お父様の詩が始まり、お会いしたことのない方々の魂、霊ではない尊い存在に出会える催しは、高句麗伝説より経験したことがないです。
今日、私にとっては初めての地、大和郡山での高句麗伝説にこれから向かいます。本日もよろしくお願い致します。