源にある出会い
府中どりーむホールのコンサートをもって10月20日からの連続コンサートをすべて経験させていただきました。有難うございます。身体で経験させていただいていることをこの度の連続コンサートでよりわかっていける機会になり、身体は眠りから醒める連続の機会を早くわかれと言わんばかりです。
今までは先生のメッセージを聴いても言葉をきちんと理解しようとはせず、どこか音を聴いていればわかるという生意気な頭がありました。感覚に頼り聴いている状態は言葉は苦手という意識があったからだとおもいます。言葉は命といくらお聴きしていてもわかってはいないのです。しかし本当にわからないのかと問えば、武道館で行われた宇宙樹コンサートで、内面で確かに感じ、わかったことを、すでに遥か昔の話しになっていますが、詩にするため、一言一言を内面に問いかけ、文章をつなぐ接続詞も言葉と合っているか、気持ちを表す言葉に矛盾はないか、表現したいという情熱は次から次へと溢れ出し、何よりも優先し夢中で詩を書いたことがありました。表現できる喜びはまさに言葉でしか表せないことでした。経験していながら言葉は苦手と決めている意識の間抜けさを今回のアントレプレヌールサロンで痛いほどわかり、府中どりーむホールのコンサートはメッセージをきちんと聴かなくてはと向かいました。
メッセージ冒頭の、一に、という言葉は最初から聴き間違えたのかなと思うほど不思議な言葉でした。一に、とは、初めてお聴きする言葉であっても先生の演奏のなかで経験させていただけると知り、力むこともなく椅子に座っていました。とちゅう眠っていなくても意識が一瞬飛びます。が、先生の演奏で眠っている内面が揺り動かされるように心の奥深くにしまっている真があらわれます。生まれてきた源にある命は現れ、子どもの頃が蘇ってきます。初めて先生のコンサートをお聴きしたときから子どもの頃をコンサートで感じることがあるのです。懐かしく感じるのは宇宙や地球と共にあり、生きる自然の源に帰る、子どもの頃にはなかった意識的な思いが外れていくからでしょうか。愛から生まれる創造が宇宙の源と感じるとき、神秘の風と宇宙が一挙にあるような神聖な喜びが生まれます。身体は軸を取り戻しながら激しく変化していきました。お腹、背筋と変化し、首、頭と、身体が整っていく変化のあまりの激しさに奇跡の真っ只中を経験しました。
これからの日々のなかでコンサートで経験した事実を現していかなければいつまでたってもコンサートに通っているだけ。それは意志となっていかなければならないことなのです。
今日からまた店にたち、新しい第一歩をまず始めます。
10月の連続コンサートを経験させていただけたことが本当に感謝よりありません。有難うございました。