渡り鳥の飛ぶ意味
9日の三鷹コンサートと、7日のアントレプレヌールサロンをありがとうございます。
6日まで調子良くやっていると感じていたものが目に見えない世界では7日と8日でガタ落ちし、9日は非常に苦しい状態で迎えました。目に見える世界では、7日はまだ大丈夫で、8日も夜までは大丈夫で、やるべきことを魔が差したのか少し残して寝てしまったことで9日は漬物石を背負うように苦しい目覚めとなりました。苦しさには苦しさが引き寄せられるように、以前は常にこのようだったなと感じる辛く重いものが張り付き、冴えない顔つきでコンサート会場へたどり着きました。
すぐに能天気になることが課題としてあり、理想だけ追って地に足のつかない、無計画な状態があらわになり、自分の中の最大の難所と音に集中しました。9日の自分は暗い暗い岩に何層にも囲われた洞穴の中にいるようで、固く閉ざした心には、闇が深く覆いかぶさり先生の渾身の音がなかなか奥まで届きません。覆いかぶさった厚い岩の外には確かに光のシャワーが降り注いでいるとわかるのに、自分は下を向いたままで頑なに弱い自分を守り、その守る気持ちが岩をより厚く固くし、、、それでも身を置き続けるより出来ません。じっと音をお聴きしました。先生の音は本当に溶けない私の心の氷にあきらめずに何度も何度も降り注いで下さりました。固い氷の中にいる方としても、辛くてせめてこれまでのように「抜け出した振り」「調和した振り」をして周囲を騙してでも、「上手くやっていると見せて安心したい。安心させたい。」と、まるでご先祖様の代からずっと張り付いてきたような感覚がまとわりつき、自分を置き去りにしないことに精一杯です。そこにはいつも「どうせ本当の自分なんて出したって上手くいかない」といじけた、拗ねた思いと拒絶への恐怖も同居しています。
”Great”と”Great Love”の演奏に身を浸し、”Great love””の中盤で、ようやく内面に、柔らかい光を感じ、「ありのままで上手くいくよりない」と聞こえ、上手くいかなかったとしても、ありのままよりないのだとわかりました。上手くいかないということはすなわち死ですが、それすら受け入れるよりないのだとわかりました。そういう世界で生きているのだと。死を恐れて自分を隠すようでは、死んだ後で後悔するとわかります。
7日のアントレプレヌールサロンでは、監視資本主義のお話をお伺いして、怖いけどもどうしようもない現実を感じました。とはいえ私の個人データなんて知ったってたいして役に立たないよ、と思いつつ、そういう問題ではなくて、人間が人間として扱われていない状態の資本主義が大いに問題であると気付きます。先生からご紹介いただいた本が山積みですが、ショシャナ・ズボフ先生の本も読んでみます。超人たるもの本当は整理してつぎつぎとこなさなくてはいけません。現実は半分オバサンなので重いです。本当はこんなこと書きたくないですが現在の事実なので、変わるよう考えます。先生の「好きなことをやればいいじゃない。本も読みたくなければ読まなくていいじゃない。」といった意味の言葉がありました。私は一応本読みたいつもりなので、やっぱり整理をするよりないです。
着ているもの、見た目がフィットしていると充足に繋がるというお話もお聞きしました。充足していない状態は、自分自身に嘘をついているというのは良くわかります。先生のスーツ姿を忘れずに、充足、フィット、フィットをちゃんとしていたらリスクは回避できてしまう、という経験をと臨みます。HOMEは自分にとってはいだきであり、人との繋がり、亡くなったあとも生きる生命と感じました。
ありがとうございます。