清らかで美しい日本の精神
東京大空襲と言われている3月10日からたったの78年、そして東日本大震災のあった3月11日から12年。今現在も世界で理不尽に失われる命、自分たちも危機にあり、自分の本音のわからないまま周りを習って動いてみても『もどき』により成れないと悟る中、それでも世界の良くなる方へ加担するには・・・。たった1年弱以前の在り方はその視点があまりに欠けていて、それを全てストップさせて教えてくれた全ての出来事は命の危険すれすれのことであったかもしれない。それすらもいだきとの繋がりにより、超えて、今ある。とても信じられない奇跡的なこともひとつひとつ事実で、向かい合う。沢山の理不尽な出来事は、自分ではまだなにも思うようにならない小さい人のいのちすらも奪っていく、お年寄りのいのちも、自分より弱いものを平気でいじめる、怒りも悲しみも越えた酷い世界。いだきはそれを変えるはたらきをなさっていると命でわかりながら、じゃあ自分はどうするのか、どう在るのかという欠けていた視点。なぜ欠けていたのか。自分という存在は、自分で動かせるし、自分で動かすよりない。そしてこの命ひとつに、良いほうへ加担できる可能性も大いにあるのだ。
書き出すと、『清らかで美しい日本の精神』と答えが顕れる。非人間的なことの根源的な解決はいだきしん先生の清らかさより成らず、歴史の縦軸と横軸の交わるときに生まれた一人の我が身は、能力を上げる、それはなぜ?人間だから。人間だから、愛をわかりたいし、わかったら、広げたい。それを実現すべく『いだき』の経験を問う。愛しい人に健やかに生きて欲しい。愛を破壊するものは、自分を含めて、無くなって欲しい。だったら、先生のおられるこのときに。いつもありがとうございます。