清き水に洗われ
第一部「清流」
暑い日が続きます。寝不足による睡眠負債が
起こっている可能性もあります。苛々したり、
判断力が鈍くなったり、心身の調子が
悪くなっていないでしょうか。
「清流」が恋しくなります。
流れることで浄化されます。
清らかで澄んだ流れは美しい景観をもち
多様な生物が生息しています。
地域の文化や歴史と結びついて
日々の生活に豊かさ、潤いを添えます。
「清流」は生命の流れに欠くことはできません。
第二部「至高すぎる」
「至高すぎる」という言い方は馴染みがないかもしれません。
「至高」だけで充分なはずです。
ここでいう「至高」とは、他と比べてこの上なく優れていることを表します。
比較していることが気になります。
各々、それぞれの社会なので、比較して高みに到達したところで
突然妙な人間になりませんでしょうか。
比較をとらないと本来の愛には至りませんし、愛の実現には程遠いです。
非常に優れているというだけではなく
度を超えていることを表す
「至高すぎる」という言葉です。
暑い時こそ、大きく生きることを一瞬でも考え、感じてみませんか。
暑い日でしたので、「清流」といつコンサートメッセージタイトルは、とてもありがたく感じ、タイトルを読むだけで涼しくなりました。ピアノの音も清流そのものと聞こえ一音一音の美しいこと、清らかで何もない澄んだ音に生命洗われます。生命の内に清流が流れているようでした。過去の傷や歪み、痛んだ神経も癒されていきました。ちょうど昨夜、テレビをつけると、ヒトラーのユダヤ人大虐殺の番組が放映されていました。小学校の頃より、本を読んだりし、関心を持っていたことでしたので、いつもは引き寄せられて見入ってしまうのですが、昨夜は、たくさんの人が殺されていることに神経が耐えられず、吐き気までしてしまい、争いを繰り返す人間の歴史はこれで終わりと叫びました。これ以上尊い生命が失われていくことは耐えられません。その時、このような酷いことに反応する神経の反応が疲労し尽くしていることを自覚したのです。今日のコンサートではその反応も癒され、痛んだ神経は光に包まれ、癒えていきました。過去の傷と見えることも光に包まれ、癒やされました。痛んだり疲労した神経は比較により生まれたことではないかと気付きました。第2部のメッセージを読ませていただいていましたので、2部のメッセージも心に聴かせていただきました。比較対象する意識により自分を痛めていることがわかりました。清流により、すべては洗い流され、新しい流れが生まれてくることを感じ、新しく生まれ変われるようで感謝よりありません。
第2部では「至高すぎる」ことを心に聴かせていただきました。美しい光注がれ、たくさんの働きかけを受ける生命は至高であると見えます。至高すぎるとは、このような状態かと見えた瞬間がありました。美しいことこの上なく全てのはたらきかけが注がれるのです。内面が美しいことは勿論、すべての生命、存在とひとつに溶け合う状態は至高すぎるという表現になるのでしょうか。とても美しく、心地よいことこの上なく、ただただ幸せなのです。私が愛と呼ばせていただいています演奏をお聴きしている時は人生で一番幸せです。世界中の人とひとつになり感動を共にし、涙しているように感じます。人間とし生まれこの経験を共にできれば生まれてきた意味も生きる意味もあると感じるのです。世界中の人と共にしたい経験です。今はウクライナの方がコンサートに毎回ご参加されますので、共に経験でき、うれしいです。もっともっと世界中の人と共にできればいいといつも心の底から願います。ウクライナの方は水が流れているように感じたとか、感情の深いところがでてきたり記憶の深いところを思い出したとおっしゃっていました。皆様、先生のコンサートの経験があるので、救われていることがそのままわかります。今日は福島で先生のサウンドを聴いた桃を差し上げました。丁寧にご準備してくださり、運ぶ方も丁寧に運んでくださり、無事に美しいままにお渡しすることができました。ありがとうございます。大変喜んでおられました。
素晴らしいコンサートを皆様と共に経験でき、ありがとうございます。過去の繰り返しは終わりとし、真に新しい歴史を築く、生き方をし、人間が生きていける世界を作ると強い気持ちが生まれます。ありがとうございます。