深まる経験に
迎賓館のコンサートライブ配信を移動しながら聴かせて戴き、配信でありながら生命交流して共にあること経験させていただきました。ありがとうございます。最後にはここしばらく腸が硬くなって動かなくなっていた自覚あったのですが、コンサート後、お腹の調子が急によくなりました。腸を綺麗にして下さったのだと分かり、頭の働きも止まっていたことに気づきました。先生のお話の中で“落ちこぼれ”という言葉に反応してしまいましたが、そう感じる自分の状態を変えていきたいと望みます。また、東京高麗屋さんではじめてKOMAGESHAコーヒーを頂きました。美味しいことこの上ないのですが、高貴で上昇したまま前へいく体感となり、高みにあり美しく生きる体感を得ました。美味しいコーヒーをご馳走様でした。
京都では、国創り行商活動から存在論、応用コースと日々のビデオ講演会、京都コンサートと誠にありがとうございました。「顕現」について、魂の表現についての理解も深まるようで、自身の意識の層についてもわかっていく機会となりました。直接、参加かなった存在論は久しぶりで、歴史的なものも世界的なものも全体と繋がり、京都の地で表現されていく先生の講座は本当に凄いと驚嘆しました。参加できるように仕事で力をつけていこうと望みます。
幻のKogryoCafeは伺う時間がぎりぎりになってしまいまして、御所前高麗屋さん2階の展示室でびわ湖畔でのお写真を拝見することは叶いました。大津での展示の時には人目も気にしてじっくり向き合えていなかったのですが、高麗さんが松の木にたたずむ後ろ姿を見、嗚咽となりしばらく涙が止まらなくなりました。前日のびわ湖畔で開催された高麗さんによる「おはなし」では、伺ううち、ある場面が浮かび、貫いて生きたお姫様のお姿が浮かび、その精神、そして永遠を伝えて下さったこと、どうしようもない悲しみもありましたが、貫き生きる強さを教えて頂いたと分かりました。シリアの考古学者の方も精神を貫き、殺されてしまったお話からも精神について、魂について深めていくことをもっとしていきたく感じました。
京都のコンサートでは詩を書かれる高麗さんの光り輝く美しいお着物お姿に胸弾み、拝見するだけで幸せな気持ちとなるのでした。コンサートでは神々の存在を感じ、天と地をつなぐ光の柱は世界の柱となり、人々の生きる土壌が育まれ、愛の芽が生まれる大地になる光景が見えて参りました。肝臓が固くなっていたことも気づき、働きが活発となり、自由を感じられました。世界の状況から伝わるものからかとても苦しく感じ、京都コンサート、迎賓館…と続いて先生のコンサートがあって光と感じた希望は大きく広がっていきます。
行商活動の後の食事会の時のことでしたが、勢いで表現してしまう場面がありました。言葉では表面的に反省を述べるような表現となってしまいましたが、その時、胸から命があつくなってほんとうは、「ここに集えて幸せ」と感じていたのだとその日の夜、言葉になり涙となりました。怖くて、出したものをすぐに引っ込めてしまう癖があるとその時、はじめて自覚ができました。尊くかけがえのない、京都での日々でした。経験を生かして参ります。心よりありがとうございます。