KEIKO KOMA Webサロン

淀みなく流れる光


半端にしてしまったことが澱のように、流れを澱ませる

昨日血を流していたかと思えばまた今日はチラシをもって行ったことのないところへ迷い込みました。人はこんなところにも家を建てて住んでいるのかというほどの坂というよりは空に続くかと思うほどの急な階段やまた地に潜っていくのかと思うような下り階段の家。住んでいる人の暮らしが浮かんできます。私は中心がわからなくなっていてふらついたりすることが多いことに気づいて、中心中心と言いながら身のこなしを感じます。人間の住むところだし郵便配達は普通にポストに入れるのでしょうが、私にとっては難行でどうしても階段を登れないところは「ごめんなさい」と言ってパスしたくなります。登りはできても降りることのほうが怖いのです。介護保険を使ってつけたであろう手すりがあるとほっとします。でもポストを見ると無理してでもチラシを読んでくれる人がいるかもしれないと。1000枚のチラシも十数枚を残すだけになりました。リハビリのつもりはありませんが。駅のエレベーターで足の痛いおじいさんに「元気やな」と言われて昨日救急車で病院に行った事などとても言えません。

帰宅して仙台コンサートのオンデマンドを府中コンサートの時間に合わせて視聴しました。帰ってきたときにご褒美のようにしてポストに入っていた一通の封書。これを呼び水としてきれいな流れに乗って天の川まで光の川になって。。。

府中の音は聞けませんでしたが共にいてくれる友と一つに流れに乗って行ける気がします。帰りの電車の車内アナウンスの梅の開花から始まる聞いたことのない詩的な表現に春を感じ何か素敵な小さな贈り物を頂いた気分です。ありがとうございます。

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高麗恵子即興詩2回目ー 結工房にて
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いだき京都事務所にて
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比叡山工房より