浜千鳥
迎賓館のコンサートのライヴ配信を有難うございました。
壊れていたいだきしんサウンドを直していただいてから迎賓館のコンサートはどのように聴こえるのだろうと思っていました。アンプのケーブルを繋ぐ箇所が壊れてしまったので、仕方なく、変換機を使い、ケーブルを繋ぐより手はなく、変換機よりいだきしんサウンドに繋がるのでどうしても音が硬く聴こえてしまいます。迎賓館のピアノはそこを超えて内面に響いてきました。海の深いところから聴こえてくるようなピアノの音は水を含んだ雫のようで一音一音が涙の雫のようです。深い音色に体は癒され、寝入ってしまいました。何度も起きようとするのですが寝てしまうことを散々繰り返し、パッと目が覚めました。月夜に雫が降り、草花がひっそりと息づいています。いつしか満点の星が空に現れ、銀河の流れになっていきました。深い海から銀河の空へと飛び立つのだろうかと感じていると、体が熱くてたまらなくなりました。汗が吹き出て来るほど熱くて熱くてならなく、熱いなかで一部の演奏が終わりました。
先生のお話で、体の左側がだめとお聴きしました。心臓がある左のことです。自分では右側が悪いという自覚があっても左の自覚は右ほどではないのです。よほど左側が鈍いのかと。。
塩の取りすぎも怖いですが、愛がわからないのはもっと怖いのです。
先生のお話後のピアノはずっと愛でした。自分には日本の音と感じる愛の音があって子どもの頃に戻っていくのです。ひとりの世界にいるのです。そばに漆塗りの座り机がなぜかあるのです。日本の音、それも子どもの頃の空間です。静かな空間にある愛の音、懐かしくもある日本の音のなかで先生のピアノが一言一言語りかけてきます。内面に問います。生きていられるのは愛の音に出会えたから、、悲しみは拭え、、涙が惜しみなく流れ続けます。なぜこんなにも泣くのだろう。生命が生まれ、そのまま生きてこられたわけではなく、本心はいつしか明かさなくなり、たくさんの言葉は話しても、本心は明かさない。愛を経験したことがなかったから自分のことは自分で守ってきたのだと涙は明かしていくのです。自分ひとりのことではない、人間は愛を知らないで生まれ、死を繰り返してきたのだと。浜千鳥という唱歌があります。親をなくし、海に羽ばたく銀の翼の浜千鳥。悲しみを銀の翼に託し、大空に向かって果てしない空を力強く自分の力で羽ばたくため、羽を今にも広げようとしている浜千鳥が浮かんでいました。体は燃えるように熱く、迎賓館のコンサートが終了しました。
テンポが合うとは音楽用語のテンポ、リズムではないということもお聴きできました。
明日は京都コンサートです。
迎賓館よりライブ配信を有難うございました。