流動
3月2日の府中でのコンサートの始まりと同時に、私の胸に届くピアノの音色は今までに届いたことのない程の胸の奥にまでそして細部にまでも響いていました。ふわふわと軽々しい最近の私の心身です。父がいない世界で生きることは、私の人生の中で初めてのことで、その世界を今一歩ずつ歩み始めています。前回の書き込みから、それこそ毎日、私の心身から何かがどんどん抜けているような連続であります。私の胸部にも、今まで無かった見たことがない穴が皮膚の上から見えていたりもする最近です。そのような中での昨日の府中のコンサートでした。胸に響くピアノの音に、思わず涙が流れそうでした。美しい流れがどこまでも響く体があることに感動していました。ピアノの音色が美しく私の胸を通りぬけるその様は、私の求め続けていた世界でした。この世界を生きている父と経験したくて、私は挑戦し続けていたのだとわかりました。そして今になってようやく叶う時の意味を考えます。どうしたって抗えぬものが父の体にはあったこと、私と父の間にある境のような越えられぬその壁さえも今は何もないことに、人間とは何なのだろうかと計り知れないほどの人間の生をみます。
体は軽くなっているといえども、私自身の状態はといえば、とても大きくそして重く苦しい誰かの手の中で小さく居るような感じがコンサートの第一部でありました。その手が自分自身の両手であるのか、自分よりももっと大きな何かなのかわからないけど、昔からある、あまりにも大事そうにその重圧の手の中に収まる自分は、とても苦しいと自覚しました。それからのピアノの音は、緻密な解体工事現場の中に身を置いているように、その重圧を解体してくださっているようでした。その後の、大地の神が顕れているような音と共に、大地の神と風の神が飛び交う中、あたらしい世界はつくられているようでした。同時に、余計なものが解体されつつある私の体にも新しい秩序の世界は生まれているようでした。あたらしい世界と、私をつないでくださるような音でした。ふわふわと浮遊していた私を、これから生きられる世界へとつなげていただいているようでした。
ああ、こんなに楽な身体に私たち2人ともが生きている時になれればよかったね、でもどうしたってこの壁が越えられなかったんだよね、と生前からこんな話を父とよくしていた私は自然に父に話しかけていました。それと同時に『いいや!今があるさ!』といつもと変わらず明るく響いた父の声が私の胸に鳴っているようで、あまりに父が元気なので、おもわず私も笑顔になった時、コンサートは終演していました。
人間の深い深い世界へと、今日も旅をします。ありがとうございます。