流れ
三鷹でのコンサートメッセージ、第一部は「髪」であったことに驚きました。昨日の応用コースにて先生は髪のことをお話しくださっていました。今朝は髪の夢を見ていました。そしてコンサートメッセージが「髪」なので、驚きました。
「頭髪のことです。髪は女性の命であると云われます。命とイコールということです。男性達にとってはどうなのでしょう?人生の悲哀の象徴でしょうか。シーク教を除いては。地球上の動物の中で、人間だけが髪が長く伸びます。髪が長く伸びることによって自分の身を守り、赤ちゃんがいる場合は赤ちゃんの命綱です。赤ちゃんは生まれて間もなく、水の中で目を開き、お母さんの髪を命綱にしてお母さんのまわりを泳ぎます。最古の人類にとっては水の中こそが、最も安全な地帯でした。髪は水の流れ、光の流れ、「流れ」を象徴しています。髪によって「流れ」を理解したのです。髪は頭脳を覆っているので、命が光輝く時、顔が輝き、全身の輝きを理解されます」
先生との会話で、髪が輝くということは全身が輝くことを初めて気づきました。私は子供の頃から髪だけは良い髪をしていると、よく言われました。美容院でもどこへ行ってもすごい髪と褒められてきました。世界各地に行った時も、海外の美容院に行くと、黒髪のストレートは憧れと言われました。スウエーデンでの先生のコンサートの時に、担当してくださった金髪の白人の美しい美容師さんはスウエーデンで唯一、黒髪を扱える人ということで担当して下さいました。その方から黒髪のストレートは世界の憧れなので、絶対にパーマをかけたり、染めない方が良いと強くおっしゃっていただきました。その後、アフリカへ行った時もちじれ毛でないストレートの黒髪をうらやましがられました。黒髪のストレートは日本人、アジア人であるからこそのことと海外を歩く中で教えられました。髪は生き方を示すのだと考えてきましたが、今日のメッセージにて命とお聞きし、さらに気持ちが引き締まりました。先生との会話で、髪だけは良いということはないと先生はおっしゃってくださりとても嬉しく感じました。髪が良いということは全身も良いのだとわかることができ、とても安心しました。今朝見た夢も、他の人が私のことを書く文章には黒髪が風に揺れるという表現が多かったことを思い出す夢でした。先生のメッセージから赤ちゃんのこともわかり、真に命綱なのだとわかり、改めて大切にすることを真剣に考えました。
演奏からは、「髪」の例えで「流れ」を表現してくださっているのだと感じました。全身に綺麗な水の流れ、光の流れが流れていくのです。流れを食い止めるものや、行き詰まらせるものも何度も何度も流れる流れにより綺麗に流れていき、なくなるのです。でこぼことなっているところもあり、次第に流れて無くなっていくと流れがよりスムーズに美しくなっていくのです。この世の魔界や悪魔に関わった汚れやしこりがおできや出来物のように見え、それらも流れにより流され、消えていくのです。心の中で悪魔のおできも流されていった、と思わず言いながら、泣き笑いしました。そこだけに囚われていると、とても深刻になり辛くなるばかりですが、先生のピアノの音は清き水の流れ、美しい光の流れとなり、止まっているものを流してくれるのです。無くなってしまえば、辛いこともなく笑いがこみ上げてくるばかりです。それこそおできや腫れ物のように見えるでこぼこが綺麗に流されていきました。とても清らかな生命となり、希望を感じます。
第2部は「流れのような愛」
「上流から下流へ水は流れ、やがて大海に流れます。流れが止まった水はあっという間に澱み、腐敗します。体内でも血液をはじめ、体液は絶えず流れ、栄養素を運び、要らないものは排出します。当然、必要な水分、栄養素は相応に摂取します。体内バランスをとっています。一瞬たりともこの流れは途絶えることはありません。さらに、自己の体内で完結していることばかりではありません。自然の流れ、他との交流、極めつけは愛の流れでしょう。宇宙の流れを受け容れ、この小さな命の創出する愛は新たな流れを創り、新たな世界の流れを創り上げていきます。」
一部で全身の澱みや流れを遮るものを流していただき、綺麗な流れが心地よく、新しい生命を得たようでした。2部では頭が一つのことに囚われ、止まっている状態が苦しく感じました。何度も先生の音に集中しようと試みますが、気づけば頭の停止状態に気づき、またやっていると自覚することの繰り返しをしました。ある時、私が「愛の音、心臓の音、あの音」と呼んでいる音が聞こえた時、頭の止まっている状態が解かれはじめました。世の人の悪魔的な頭も非人間的になっていく魔物に取り憑かれている状態も愛によってより変わることはないと見えるようにわかりました。この世の中で、自分が中心となり人を人とも思わない非人間的な人の瞳がまぶたに浮かびました。あの人たちでさえも愛によって変わるのだと先生のピアノの音は示していました。変わるより生きていけない美しい世界を作ることは世界を変えます。愛よりないとわかり、感動します。私は愛に生きることが答えと感動と共に愛に生きることを心に誓いました。
アンコールのアリランは美しく、今日は初めて今は朝鮮半島となっている高句麗最後の都があった地の魂を感じました。いつもは高句麗の地を感じていましたので、五女山や集安を感じ、皆で生命ひとつに共に生きた温もりに涙します。今日は大地から魂が現れる光景が見えました。そして最後には「王の元に集う」と聞こえ、驚きました。先生の演奏される美しい魂揺さぶられるアリアンの演奏に半島の大地に埋もれ、眠る魂も目覚め、動き始めることを知らせてくれました。武者震いが起こります。これからすごいことが起こると予感します。私は、2部の演奏をお聴きしている時、この世の作られた喜び、楽しさ、幸せに留まったり、時にははまっていたりしてきたことが流れを阻んできたように見え、感じました。人間は生まれた時から作られた世界で生きてきたので、悲しみも情けも心でさえも作られたことより知らないで生きるよりなかったのですが、生命の内では違うことを感じ、真の人間としての生き方を求め続けてきました。この世の作られた幸せに留まり生を終えることが答えではなく、この世の人間誰も知らない真の人間としての真の幸せを経験することはこれからだと教えられたのです。応用コースにて「好運」についてお話いただき、この世の幸せに留まることをさせない流れがある人生は幸運と感じます。今まで不幸にすら感じることはこの世の幸せの限界を突破する為に起こったことと受け止めていける今です。応用コースの時にも見えたことですが、私の生命の内には生まれる前からある魂の一筋の道が見えます。生まれる前からある魂の筋を通すように起こる出来事は好運とは今までもよく感じることでしたが、お話をお聞きし、これよりないと見えます。過去の出来事を体の中にたくさん溜めていたのだと今日のコンサートの経験で気づきました。溜めていたことを流していただき、生命は浄められました。体に溜めるばかりでは、それこそ水が澱み、腐敗するように、体も壊していくと見えます。今日のメッセージの極め付けの愛の流れを経験させていただき、頭の枠も留まる癖も解かれていきました。
最後のメッセージ「この小さな命の創出する愛は新たな流れを創り、新たな世界の流れを創り上げていきます」こそがこれからを生きる生き方と示していただき、希望を感じます。不合理な世の中を変えていくのも愛よりないと身を以てわかり、先生のコンサートをたくさん開催させていただくことが最も早い世直しであり、人間の生きていける世界を作ると身にしみました。その為に、無我夢中で働いていきたいと生まれた気持ちを実行できるように考えます。ありがとうございます。