活動できる人生に感謝
午前中から活動することの連続で分刻みで全て時間通りに動け、夕方の「高句麗伝説」を聴く会に臨めました。人生を考える時間がある人生は幸せと前回の会の時に心よりありがたく幸せを感じました。今日も永遠に終わらないかと感じる程に時が経つことを忘れていました。が、最後にアンコールになり、終演となり、寂しさまでよぎりました。ずっとこの世界で生きていければ幸せと感じます。前回と同じ「高句麗伝説」でありましたが、違うものと感じ、もしかしたら再び編集をし直してくださったのかと思う程に、まるで違う聞こえ方、感じ方を経験し、生きることは全て自分の在り方で決まるのだということを身を以て経験しました。ありがたいことに既に我や思いはなくなっていることも確認でき、毎日変化し生きる生命のはたらきに感謝します。
昨日の講演会にて本音で生きるよりないことがあきらかに見えました。生命は抜け出し口を求めていても、いだきのことは拒否するという頭は金輪際通用しなくなることが見えました。生命のままに生きる時代です。
神話に出てくるような絵に描いたような三日月が現れる夜でした。神々しい輝きを放つ三日月に映し出される高層ビルの異様さも浮き出ていました。真の輝きを前にし、闇に使われた人間が作った建物も街も異様さがあるがままあらわれ、真があらわる時代であることがそのまま見える光景でした。
帰宅し、机の上にたくさん溜まっていた過去の資料や書類を整理していると、先生のコンサートメッセージや高句麗伝説のパンフレットやプレゼンファイルが心に飛び込み、涙が込み上げます。私は、いだき講座、コンサートをお伝えしてきたので、ある生命と生命でわかりました。共に活動してきた仲間も居ることが当たり前ではなく、やれることが当たり前ではなく、このように活動できることは決して当たり前ではないことにも涙しました。誰一人、欠けることなく、皆で元気に活動し続け、世界の平和を実現していく人生を全うしていくことを心に誓います。多くを学んだ一日でした。夜も更けてしまい、多くを書き込みできませんが、尊い一日の経験に感謝します。ありがとうございます。