求めて来たのは「愛」
いのちひとつで生きていたかったとつくづく思う朝です。子供の頃、家族間に、また世俗に、絶望を感じ家出しようと考えたり死んでしまおうと思ったりしたのは、いのち ひとつ、愛がなかったからと、今、分かりました。求めて来たのは「愛」ただ愛が欲しかったと分かりました。
人間のいのちに生まれて来ているのは、まごうことなく事実なのに、人間のいのちに生まれて来ていることに抵抗し続け、ようやくその事実を受け入れたのは最近の事です。では、人間としてどう生きればいいのか、スタートラインに立ち、高麗さんの講演会で、「いのちひとつ」のメッセージが刺さり、そして、昨日のコンサートで体得出来ました。まことに人間が人間になる時、いだきの時と感じます。
今朝は胸がいっぱいです。愛の勝利は、高句麗の愛が証明しています。高麗恵子さんの存在です。桐箱の「東明王 ありがとう」が浮かびます。宇宙、高句麗、ひとつに天と地をつなぐ光の柱が、私にも見えるように感じた昨日の高句麗伝説コンサートでした。映像も素晴らしく、この身を、宇宙の生まれる三段階の世界へ連れて行ってくれたと感じています。
茫洋としていた人生が、これから
輪郭をもって見えてくると予感する朝です。と、ここ迄書き込みの下書きをしたところで、電話が鳴りました。アンドロメダエチオピアコーヒーのご注文でした。親族に以前から勧めていたら、このコーヒーだけ飲むと決めたそうです。もっと人に勧めるねと言って頂きました。その方は、時々人に会わせると言ってくれるのでしたが、私に、会っても世間話だけにしなさいと言うので、私は世間話をする為に此処に来たのではないとキッパリお断りして来たのです。でも、と、今朝は頭が愛に変わったので、世間話に行く時、マーブリングを身に着け、コーヒーやグルテンフリーをお土産にすれば、いいんだと考えつき、今迄なんて頭が貧しかったのだろうかと、頭も心も、外側も、びっくりするぐらい豊かに生きていこうと考える朝をありがとうございます。愛に包まれる朝をありがとうございます。