永遠の今 始
昨日の京都事務所での「死について」は全く別次元の話に、まさに今何が始まっているのか、自分のいるところはどこなのか、わかるというよりもその中にいることを感じました。知識はないのですが、物の怪という事にいかにかかっていたかがわかります。
今朝は朝一番のコーヒーとともに福島のサウンド桃を頂いています。こんな恵みを身体から経験できることの幸せをおなかの底からかみしめます。
京都に向かうときは晴れて暑い日差しに日傘であった傘、電車で向かっていると、雷鳴轟き、豪雨になりましたが、京都に着く頃は軽量の折り畳み傘がちょうどいいくらいの雨の雫が天から降り注いでいました。
応用コースの会場で、介護服の最後のズボン、私を待っていたように出会うことができました。マーブリング
は優しくて私の足の痛みを楽にしてくれます。これは私のためだけでなく介護する人のために、今日のケアに履いていきます。今ここで生きているという基を、明日のために活かして。
昨日も高麗さんのビデオ講演会までお聞きしたので遅くなりましたがどうしても高麗さんのお話を聞くというよりも、経験したくて。
ありがとうございます。