水仙の花
無事に比叡山に着きました。地元の道を走っている時、林のような公園の花壇にたくさんの水仙の花が咲き、風に揺れる光景が心に飛び込んできました。幼い頃を思い出しました。ずっとある暮らしのぬくもりを感じる光景に、生命あることに感謝の気持ちが溢れました。梅の花を見上げた時に広がる青い空とピンクの花の輝きに、存在するすべての生命と繋がり活かされ生きる生命と生命で感じ、生命あることに感謝生まれます。自然の生命は新しい生命となり、新しい世界を作っています。水の流れを見た時に、内にある過去の重荷や苦しみを洗い流してくれているようで、清々しい風が吹き抜けました。3月2日は過去を脱ぎ、真の新しい生命となる始まりと感じています。こんなに大切な機会はありません。たくさんの方々と共に経験したいです。
道中、先生は何度も「生きていて良かった」とおっしゃいました。真にと深く頷きます。本当に良かったと頭が垂れ、胸熱く、涙こみ上げます。入院中、まずは先生が講座をなさるお姿を心に描き、叶う日を夢見ました。そしてコンサートをなさるお姿を描き、祈りました。次は、京都へ移動することを描きました。その日はきました。この時の為に、入院中に車を買い換え備えました。昨日、納車していただき、今日は新しい車で無事に到着できました。次は2日の京都コンサートホールでのコンサートを心に描きました。一つ一つ心に描いたことが現実となっていきます。生命あることのかけがいのないことが生命沁みます。過去に引きづられていると今に生きていけないことを問題と感じ、何とかしたいと考えてきました。存在表すことで乗り越えていけると行き着きました。先生にお会いすることが存在に出会い、存在現る機会です。先生にお会いし、講座、コンサートの経験より問題の根源解決はないとしみじみ考えます。明日は久しぶりに京都事務所での応用コースを開催させていただきます。存在表すことより答えがないと感じています今、明日、そして明後日のコンサートの機会に賭けます。ここに身を置くより、何をしても解決はないのです。私たちは解決できる機会がありますことがどれだけありがたいことでしょう。深く感謝し、身を置かせていただきます。
私は人の内にその人でないものが見えることがあります。取り憑かれたようになり、何故、こんなことにこれだけ頑張るのかと不思議になることもあります。人間ではないものを見るのです。昨日は人の内に妖怪と表現するある何かを見ました。その場にいる人と色々調べている内に、恐怖から作られたものと書いてある文章に合点がいく感覚がありました。恐怖は人を管理、コントロールします。私も恐怖に襲われると自分を失うことをなんとかしたいと考えてきました。時間も恐怖です。私の部屋のお掃除をしたスタッフが時計の多さに驚いていましたが、時間にコントロールされている故とは痛くわかっています。今、ひとつひとつ、恐怖だけでなく、問題と感じることの考えを深めて解決へ向かおうとしています。また、改めて気づきましたが、最近、人の言葉が神経に障ることも考えていました。神経に障り、実際に胸や心臓が苦しくなったり痛くなるのです。やはり人は鏡とわかります。自分が神経に障るような状態で話したり、行動をしているのだと気づくと、答えが見えてきました。自分の内に障るものがあるので、神経に障り、胸や心臓が痛くなるのです。なければそのような反応はないと気づきました。解決していないことや弱点に障るのだとわかりました。そんな今、講座、コンサートがありますので、存在現れ、必ず抜け出せると考えています。とてもありがたいです。
比叡山に着くと、水仙の花が枯れることなく、咲いて待っていてくれました。先日の福井での「出会いの一日」の時に福井の受講生の方がくださった水仙の花を比叡山の家に持って帰ったのです。またお会いできてうれしいです。ありがとうございます。