気付き
高麗恵子さんとの出会いなどから書いてみては?がきっかけで、気付く事がたくさんあります。頭の中はとても表面的になってしまっていて、日頃は記号化している言葉を使えばとりあえずは生きていける社会であり、存在論的に言えば存在者として生きることに慣れてしまっています。内面や魂を言葉に表そうと試みるとき、身体を無視はできず、存在と向き合い存在顕し生きようとする貴重な行為であるとあらためて気付きます。使い慣れた言葉をどこか自動的に放つ連続は、命も身体も物のように扱い、作られ仕込まれ操られ生きる人間のすることと気が付きます。終わりゆく社会で滅びゆく人間と同様に生きていては、生まれてきた意味も出会えた奇跡も自ら潰していく事となり、気持ちや言っている事との乖離は益々大きくなるばかりです。
高麗恵子さんとの事を表そうとするだけで真の自分をあらわす事になる。1日に1度、この”高麗恵子WEBサロン”に向かわせていただく事がどれほど尊いことか。書いているのに「何も書いてない」と先生が一言おっしゃった意味などなど、今更で申し訳ない気持ちですがたくさん気付く事ができ感謝申し上げます。「五女山の夢」に再び本気で向かいはじめていますので何をもおそれず向かっていきます。
リストアップも半分の時間で決めた件数ができるようになりました。つまり倍の数をリスト化できましたがまだ足りません。今はどうしてもボランティア活動に使える時間に限りがあるので全てを工夫して能力上げていきます。
個人的なブログだけに逃げないで、こちらへ投稿させていただくよう努めます。
海外ツアーから帰ってきた時のような大きな変化は11月1日「高句麗伝説」へ向かう追い風、そして、真の人間となり真の人間が生きれる時代を創るちからとなっています。
ありがとうございます。