気づかいの呼び声
哲学者の美しいことばの表現に惹かれます、時を超えて出会うハイデガー。
良心はたえずひたすら、沈黙という様態において語り、気づかいの呼び声としてじぶんをあらわにしている。
呼びかけられた自己はむしろ、じぶん自身へと、すなわちもっとも固有な存在可能へと呼び醒まされている。
良心の呼び声において呼びかけられている現存在、
現存在が良心においてじぶん自身を呼ぶ。
良心の「声」はなんらかのしかたで「負い目」について語る。
日常的に理解されたかたちでは、「負い目のある存在」はさしあたり「債務がある」「だれかに或るものを借りている」という意味でとらえられている。
負い目のある存在は第二に、「なにかに責任がある」という意義をさらに有している。つまり、或るものの原因あるいは創始者であるとか、あるいは或ることの「誘因である」といった意義である。
私の身の内にあり、運命解決していただきました「責任」は「負い目のある存在」の理解にむかいます。
ありがとうございます。