KEIKO KOMA Webサロン

比叡山にて


東京から比叡山に向かう道中、目の前に姿を現した富士山は大きな雲の帽子をかぶっていました。自然の生命が描き出す光景はダイナミックで、想像をはるかに超えることに驚き魅せられます。こんなに大きな帽子であれば突風が吹いても飛ぶことはないと感じる厚い帽子を冠る富士山の姿は生まれてからずっと富士山を見てきた私でも初めてお見かけするお姿でした。このようなお姿の日もあるのだと妙に感心し新鮮に感じました。

今年初めての先生が焙煎してくださったコーヒーが「心」と名付けられてから、空間の淀み、歪み、穴。。。全ての空白を埋める言葉は「心」と見え、答えを得られた安堵と希望を感じています。そして昨日のコンサートでは「おおいなる心」を経験させていただき、どんな時もおおいなる存在と共に生きていくことが人間とし生きていけることと経験させていただきました。大宇宙とひとつである時は「おおいなる心」となっています。心ないことで苦しむ事は辞められます。道中もふとした会話から自分の意識の隔たりに気づき、心があり、人間のこと、生命のことを正しく理解できれば、余計な苦労も苦悩もなくなるのだとわかります。知らぬ間に静かにまわりの空気にハマっていることの恐ろしさを感じていました。感染予防をしなくてはいけないことは重々承知していますので、不要不急の用事はしないようにしていますが、何をもって不要不急かということは常に考えます。少しでも間違うと、知らぬ間に気力が失せ、世俗の空気と同化し、未来を作る発想が生まれないことを自覚するようになりました。コンサートにて自分の姿勢が何かを待っている状態であったことに気づきました。停滞し鈍い感覚がとても嫌で抜け出したいと考えます。コロナの収束を待っているのか、今までの活動が報われ、ある時突然平和な世界が作られることを待っているのか、私はある何かを待っていると見えるようにわかりました。アフターコロナはないとは先生の講座にてお聞きしていますし、自分でも世の中を見、理解していますので、待つことはないとは承知しています。世界の平和も待つことでは実現しませんので、待つことはやめます。コンサート前日からどんなに苦しくても動いていくと決めたので、これからは動き続けていくつもりです。発想も変わり、見える世界も変わります。おおいなる存在と共に生きていくことに努め、訓練できるならばありがたい人生です。偶然見た番組にて、「私たちの行く道は神が共にある」との言葉が心に飛び込み、目を向けると、アウシュビッツ収容所の体験者の言葉でした。幼い頃に兄弟と別れた時に発した言葉だったのです。その方は、その後生きて兄弟に再び会うことはなかったと知り、人間の人生の惨さに胸が痛み、虚しさを感じ、自分がその境遇であったような心境となってしまいました。たった一度の人生がこの上ない酷い経験を余儀なくされることを誰も望む人はいないのに、いかに多くの人々がそのような人生を生きなければいけないのかと長い歴史の悲しみが身にしみます。今、私たちは過去から負った運命を解放され、自分の本音、意志を表し、実現できる人生を生きていけるのです。真に夢のまた夢と表現したい人生です。私達はおおいなる存在と共に生きていけるとはこの上なく光栄であり幸せであります。おおいなる存在と共に生き、おおいなる心で生きていくこれからです。自分のやりたいことを実現できるようにはたらくことが心満たされることともよくわかります。やりきっていないことなどあれば心に穴が空いたようになります。これからはコロナ禍であってもコンサートをお誘いさせていただきます。表現し続けていくことが未来を創りますので、状況を見、合わせてしまっては未来までも閉ざされ、生きていけなくなります。自分で生きる道を創り、皆が生きていける世界を創るよりないということがよくわかります。2月に入り、月も変わりましたので、生き方も動き方も新しい月と共に変えていけます機会となりありがたいです。ありがとうございます。

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ランチタイム後の…
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