母
分かる時とは、ある日突然ジグソーパズルのピースが全てはまり、全体の絵が見えるかのように、何もかもが繋がり見えるのだと分かりました。これからは、一気にこうして進むと分かる朝です。
京都とでの先生のお餅つきの案内を見た瞬間、分かっていたお知らせでありながら、翳りがサッと過ぎりました。母を思ったからです。
二年間私一人で参加させて頂きましたが、昨年は私の手術、愛犬の旅立ちと大きなことが立て続けにあり、すべて一掃したく母と共に京都に行きたいと望みました。
ですが、様々な事情が重なり叶わず、泣きながら一人京都に向かった早朝の光景が蘇ります。「さようなら」と何故か何度も声に出して、泣きながら歩いていました。
日帰りでは分かりませんでしたが、お正月の京都はどこも人が溢れ、トイレに入ることすらままならず、母を連れて来ないでよかったと内心ホッとしました。にも関わらず、やはり来年今度こそは連れて行ってあげたいと、行けないのではとの思いが交差したのです。
結果として、今年もお餅つきは私一人で行くと決めざるを得ませんでした。帰りの新幹線があまりにも満席だったからです。そのことを母に告げると、涙声で「ありがとうございます」と言うので、思わず「行けないのに、ありがとうございますはないだろう」と言い二人で笑いました。電話の向こうで心底ホッとした様子が見えたとき、「あぁ 、そうなのか」と分かったのです。「気持ちは行きたくても、体が行けない」「自分の体は自分がよく知っている」「歳を取るってそういうこと」一年前に毎晩電話で喧嘩しながら、押し問答していた時の母の言葉が蘇り、私は初めて今受け容れることができました。
今年初めて年末年始は、母の元には帰らないことに決めました。元旦の先生のコンサートを自宅で聞かせて頂き、二日にお餅つき、その後三日に帰ります。自然とその流れになりました。私にとっても、母にとっても、それぞれが一人一人過ごす年末年始は、この先どのような流れになるのでしょうか。やっと自由になれました。これから始まる今です。
高句麗伝説を、よろしくお願いします。