死について
いつをもって死と言うのか?考えたこともない問いでした。
心肺が停止し瞳孔が開いたのを確認して死亡診断をするのが医者であるので、ちっぽけにもそこが死んでいるのか生きているのかの境目だという発想しか出てきませんでした。制度的に決められた死を死というのか?本来的な死とは?という問いに対して、まさか、人間は死んでいない、という答えがあるとは本当に驚きました。いだき講座での経験や、コンサート、講座で内面を整理して頂いてきたこれまでの経験があるので肉体を失っても人間の中に入り込んで存在している人の状態がある事実はよくわかりました。
自分が死んだことをわからないまま人の中に入り込む人の状態がある一方、イエスキリストのような方はどこにどのようにしているのか、会いたいとお考えになる先生は普通の方ではないとお聞きする度に感じます。大いなる存在に至るプロセスというテーマからスタートした通り、先生がイエスキリストに出会うまでのプロセスをお話下さり、イエスキリストに出会ったとき先生の仰った通り胸が軽く全身が一つになっていく体感とともに頭がクリアになりました。イエスキリストに会い、大いなる存在までわかるいだきしん先生がこうして私たちに直接会ってくださることがどれだけすごいことか、特別なことかと感じます。
また私は、なんのために?とひとつひとつ目的を問うことをし直さなくてはならないと感じています。
死についてを本当にありがとうございました。