死について
盛岡にやってくると、なぜこんなに幸せを感じるのか、とても不思議です。裡からありがとうございますの言葉ばかりが生まれ、今月もこうしてこさせていただけることに感謝しながら講座に向かいました。
まだ将来何をしようか迷っていた20代前半、その日は不思議と、普段買わないイヤリングが欲しくなり出かけました。その晩、手に入れたそのイヤリングを身に着けて鏡に映る自分の姿を見た瞬間、人の最期に最も美しい自分でありたいと、言葉が生まれ衝撃を受け号泣したことを思い出します。そのときは意味が分からず、ただその言葉をノートに書き留めました。その時の体感とその言葉は手がかりとなり、自分の進む方向性を決めているように感じます。最近、人の最期まできちんと看れる介護をやりたいと、一緒に仕事をする相手とよく話しています。介護、看護の基本は逃げも隠れもれず、死を看取ること、ちゃんと看取ると決めると人は長く生きてくれる、との先生の言葉に感動し、自分のこれからの軸となるように感じます。闇に引きずられるようにして人が亡くなる死への恐怖が自分の行動を決めていた過去が、いだき講座で先生に受け容れていただき、変わり、今はまだ自分には何ができるのかわからないながらも、人の最期に最も美しい自分であるとはどういうことなのか、問い続けている自分がいます。ケアを追求する理由ももしかしたらここにあるのかもしれないとも感じます。霊界をこの世から無くすこと、地獄界まで解体、解放してくださることを先生がなさっているとお聞きすることが驚きと共に希望です。どんな研修を受けても、勉強をしてもわかることのない真実を先生からお聞きでき、その幸運に心よりありがとうございます。