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死について


昨日は、東北センターにて「死について」、ビデオ講演会に参加させていただき、ありがとうございます。

死の恐怖はあります。死にたくない。なぜ恐怖があるのか?死んでしまったら、何もかも無くなると思っていました。そう教えられています。死んだら終わり。世の中の人は、ほとんどそう思っています。父もそう言っていました。いだき講座を受けて、自分の欠点が現れると、私はなんてダメなんだ、「死んだ方がいい」と思った時に、「死んで終わらない世界」があるとお聞きしました。死んで終わらないなら、生きてるうちに、悪いところを出来るだけ多く改善して、無くしてしまいたい、そう考えらようになりました。自分の欠点は、自分だけの性格というより、代々受け継いだものもあり、自分の努力で変えられることと、違う次元のこともあるんだとわかりました。いだき講座を受けて、生命の光を取り戻した生命で生きているとは、自分ではどうしようもないと諦めていたことも、わかれば変わっていける。欠点に集中すると、部分的に生きていくことになります。死ぬ時、部分的に死んではいけない、とお聞きしました。部分にとらわれて生きるのでなく、全身を戻すことをやっている講座、コンサートで先生にお会い出来るで、全身を取り戻していける。長く生きて、部分的に鈍くなることは、関わる周りの人から良く感じます。そして、病気になってしまいます。病気で死ぬことが当たり前であるように感じていることも、自覚します。人の話で、医者が「今日の夜が峠だから、親戚を集めるように」と言ってから「俺は後3日で死ぬ」と言って家で亡くなったお爺さんの話を聞いた時は、衝撃的でした。そんな風に亡くなる人がいるのかと。自分の祖父母は、全員病院で亡くなっています。自分が死ぬことがわかるのか?今はわかりません。わかるように生きていたいと望みます。
コンサートで、先生が演奏される一音は、1人ずつに働きかけていること。この経験が音楽関係の方には、なかなか伝わらないことは、昨日のお話しで良くわかりました。音を楽しむ音楽という字ではありますが、現実は徹底的に基準標準を決めることと。とても窮屈です。楽しいってことも、わからなくなりそうです。この音楽がいいんだ、と教えららること、権威でコントロールすること。本当の自由は、先生の演奏される一音にあること。より深くわかりたいです。ありがとうございます。

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