死について
11年前に亡くなった父のことを昨日の応用コースのライブ配信で気づけることがありました。退院を目の前にしての突然の死はおそらく父も受け入れがたかったと感じ、私はまったく受け入れることができず、明る日のアントレプレヌールサロンにそのままの状態で行きました。先生の顔がなぜか父と似て見えました。講座の内容はまったく届かず眠いだけでした。しかし講座が終わるとまったく自分の状態は変わっていました。あれほどどうにもならない悲しみは消えていて、父の葬儀も春風が吹いていて、父の顔はとても可愛らしく、火葬のときも可愛らしいままの父と春風のなかでお別れができたことは先生がいてくださったからと今も忘れることはありません。ですが、昨日、はっきり、更にこのことがよりわかることができました。受講していなくても父の命は私と繋がり、父は亡くなる日も現象としては突然であっても、アントレを明る日にした私の生命と繋がり、先生と最短でお会いできる巡りを命は選び生を終えたのではと、そこまで感じられました。なぜならアントレの日に先生の顔が似ているはずもない父と似てみえて仕方なかったのです。父は先生とお会いして生命が終わったことを受け入れたのだと感じました。親との別れは受け入れがたいことですが本当に救われました。死について、魂のこと、父が教えてくれたことは2日目と繋がっているとおもいます。父の思いがいだきとの出会いとなっていることも忘れたことはありません。
今日は迎賓館のコンサートをライブ配信でお聴きできます。国技館で行われたコンサートに家族が来てくれて、友人知人たくさん来てくれたのですが、父親は私の話しそのまま聴いてくれたみたいです。コンサートのときはなぜか歯茎が痛くなったのだそうです。