死と愛
三鷹での死についての講座を有難うございます。
時間のずれがゼロの高句麗伝説の後で、人間は人とずれているのは勿論、存在論でお聞きしてきたように自分の時間ともずれて生きてしまっていること、そして生きている時間を縮めるように関係や生活があることが分かり今まで認識できなかったことまで何倍も人の生命について考えられるいのちとなりました。中学生の頃から死と生についてとことん深くから考えられ、特別養護老人ホームやNPOいのち、デイサービスいのちが創られ私たちは死についてお聴きできることが余りにも有り難いです。特に、生死について、そんなに単純なものじゃないんだよと仰った一言で深淵な生が拡がります。人のことや家庭について、良いとか悪いと外から言っている場合ではなくて、自分が出会った今日のこと、皆幸せに生きてほしい為に昨日も今日もあるという悲しいほどの優しさに胸の内が揺れます。誰のことも対象化出来ない人を前にし、人と境なく人の良いところばかり見え、感じ、皆いい人であればいいと心底想いました。
終わりに近づいている人にどう関わっていくのかは祖父の時以外は未知であり続けましたが、今まで悪かったことがあってもそれを良いひとときの経験で追い出すことも出来る最期の機会と今日教えていただいたことは紛れもない全ての人に当てはまる真実と分かりました。それは若くても死はいつ訪れるか分からず、同じであるので根本的ないだき講座があるということを了解できます。
いちばん大事な死と愛について考える時は人生の幸せです。一見落ち込んでいるような、鎮まりのなかで生命の境のないときを経験できます。
明日はジェンダーを巡って、最も重要なテーマについて新たに学びます。
ありがとうございます。