歴史的一大事
アメリカがイランの核施設を攻撃したとのニュースを見て、胸がざわつき、言いようのない怒りを覚えました。が、どんなに怒っても悲しんでも嘆いても、攻撃する側に加担している状態となっていることは今までの経験でも、目に見えない世界でもよくわかっています。何ができるかと考えれば、根源解決となる先生のコンサートを開催することに尽すことともよくわかっています。世界の動きとコンサート開催とはひとつに動いているとは今までも感じてきたことですが、最近もイスラエルがイランを攻撃した時に、よく見え、コンサートを開催することで世界は変わるということがはっきりと図形により示され、わかりました。今までも世界を変え、平和を作る為に開催してきましたが、揺るぎない事実としはっきりと見えたのです。今日も必ず平和な世界を作ると強い意志が生まれました。
京都事務所での応用コースでの先生のピアノ演奏をお聴きしていると、頭の中はアメリカが攻撃したことばかりが占めていました。演奏からは内面が一つにつながっている人々は守られるとみえ、ほっとしました。反対に繋がっていないで私の目には闇の世界に組み込まれてしまっている人は闇と共に崩壊すると見えました。先生がずっと内面の解放をしてくださっていますので、内面は一つである人々が多いとみえ、感動します。
お話は生きてこの時を迎えられ、言葉に表し尽くせぬ喜び感動、感謝で夢を見ているようです。先生は何度もイエスキリストは何故十字架にかかったのかと問い続けました。真剣に考え始めました。自分の内では、こうではないかというものがありました。真っ当に生き、愛に生きた御方なので世の中を変えていくからと考えていました。その時、先生は私に何かないかと問われ、後からやっぱりそうだったと言われたくないとおっしゃいました。先生も中学の時より考えてきたことであり、なかなか答えを見出せなかったことなので、わからないというのでもいいとおっしゃいました。その時、自分のお腹に罪を見ましたので、私の答えは世俗的であると受け止め、表現しないことを選びました。その後の先生のお答えに、目が覚め、頭はクリアになり、特にこの一年間の経験が整理され、さまざまなところで合点がいきました。物心ついた時から罪深いと感じ、罪を贖う為に生きていければいいと望んできました。イエスキリストを十字架にかけた子孫であるということがどうにもならず、罪深いと感じ、生きてきました。今、時代は一巡し、イエスキリストが十字架にかかった時と同じ状況となっているとのお話はよくわかります。日々起こる現象を当時のことに照らし合わせれば、そうなのだと深く合点がいくのです。人間とし真っ当に生きる時代となり、自分の気持ちを押し込め、社会の規則や法律に準じ、社会に合わせて生きてきた今までの生き方が変わる時が来ているのに、過去にしがみつき、変われないのです。変われないことはイエスキリストを十字架にかけた人間と同じであると何度考えたことでしょう。先生からは過去の成功体験もいらないと何度もおっしゃっていただきながら、いらないとは思えずにしがみついてしまうのです。真っさらな人は人の化けの皮を炙り出し、剥いでいくので、イエスキリストは十字架にかけられたとお聞きした時、深く合点がいきました。今は世界的にそのように鏡のような人が多く、人の化けの皮を剥がす人が多いというお話により、全ては合点がいきました。この一年で経験してきたのです。空間もそうなっていると感じます。はじめは苦しく感じ、自分の弱点を認めずにいても、認めないままに生きていて、生きる意味がある人生となるのかと考えるのです。最近では変わらずにいる状態が戦争に加担していると見えた時、変えることを決断しました。変えると楽しくなり、未来が拓かれ、未来へ未来へと向かっていけるのです。ワクワクとときめきが戻ってきました。動かないのも変わらないのも滅んでいくとは身にしみよくわかります。やっと罪が解け、新しい時代が拓かれます。そして先生が内と外がひとつになる時とおっしゃってくださり、心から安堵し、喜び生まれます。気持ちはあるけれどやれないという表現の気持ち悪さはやめると最近決意したばかりです。内と外がひとつとなり生きていけるのなら、真に幸せです。明日のお誕生日のコンサートはとんでもないことが起こると魂震えます。今日の応用コースは歴史の一大事でした。この重大性がわかれば、コンサートに参加できない理由はひとつもありません。明日は何があっても最優先し身を運んでいくコンサートであることが畏れ多く、万全を期して向かいます。
コンサート前に御所南高麗屋にて幻のコグリョカフェをさせていただきます。午後1時半から3時半までです。3時半にはコンサート会場へ向かいますので、よろしくお願いします。
皆様と無事に集えますようにと祈ります。心からお待ちしています。