歴史の縦軸
昨日は東京の応用コース、今日は社長室ランチ、ビデオ講演会サロンに参加させていただき、ありがとうございます。
昨日の応用コースでは、誰かの意図が働くのは全部洗脳とお聞きするとほとんどの会話は洗脳です。洗脳されれば、自分で生きていけるように物を考えられなくなってさらに洗脳は進みます。自分の洗脳度を考えてみました。学校で習ったこと、世間の常識にはかなり洗脳されています。今、仕事では常識通りにはやらないので、自分の経験をもとに考えてやっていることもあるかと考えます。いだきのことをお伝えする時に、人が話す話は誰がしゃべっているのかわからない時があります。まるで、どこかで覚えたセリフのように感じることさえあります。生命に力が湧いて来るように生きなきゃ、何をもとにして生きるわけ?と問うてみました。世俗に適応せず絶望感があり、いだきに出会い年々豊かに輝いて生きる生き方に希望を見出して生きています。本当のことがわかっていくことが、力が湧いてくることです。今日は初めて社長室ランチに参加させていただき、たくさんお話しをお聞きしました。三鷹の地からいだきを始められたことの意味、高句麗伝説でもお聞きしている高麗さんが京都に行かれる時のお父様とのやりとりの会話に、本当にこのような会話が成り立つのはとても特別なことと心震えます。高麗さんが歴史の縦軸で、人は歴史の縦軸に会わないと人間にならないことは、前からお聞きしていましたが、今日ははっきりとわかりました。個人で生きていては、歴史の軸では無いのです。歴史の軸で生きていれば、自分も先祖の代表であります。「自分なんて」と言ってるのは、個人で生きてる傲慢さです。歴史の縦軸と空間の横軸が交差する高句麗伝説は要です。要にいれば、真実がわかります。高麗さんが、今日話されるのを聞いて、初めてわかりました。歴史の縦軸に出会うとはこういうことなのかと。先祖の代表で生きるなら、無能を嘆いている場合ではなく、少しでも能力を上げなくてはいけません。先祖からすれば、最初で最期のチャンスの時に生きてるのが私で、しかも要に出会ってはいるのです。できませんでした、すいませんでは、すまないとわかります。覚悟し、弱い自分を鍛えていくよりありません。しかし、鍛える場に特殊能力は必要なく、芸術性の高いコンサートをしゃべっておすすめすれば良いのです。真面目に生きた方が良いとは、もっともです。ありがとうございます。