歴史の巻物を紐解き 世界を舞台に生きる
今日のコンサートは、歴史の巻物を紐解き、今まで解けなかった謎解きが始まり、今まであらわることのなかった高句麗王が現れ、見たこともない美しい光景が見えるアリランの聴いたことのない音色と響きに、魂揺さぶられてならず、胸動き、涙、涙。周りに人がいなければ、号泣していたことでしょう。胸の奥深くから突き上げる涙を押さえ込み、じっと演奏をお聴きしていました。感動、感動、感動の連続でこの時の為に生きてきた瞬間を迎えました。とても壮大な歴史のドラマを見たようでした。コンサート中に見えた世界は歴史でした。そしてコンサート中に気づいたことは話せば尽きない程多いです。今も何から書いたら良いかと気が急いてしまいます。長いストーリーがあります。
昨夜は、本気で世界平和実現へ向けて、何をすれば良いかを考えました。図形で見えることを紙に書き出し、これから実行していこうと考えています。世界の平和に向かい、大きく生きていきたい生命の要求をはっきりと感じ、同じことの繰り返しは辟易していますので、何としても新しい道を作りたい一心で、毎夜紙に向かい、生まれる言葉、見える図形を書いています。今日は、世界へ向かわないといけない気持ちが湧いてきました。コロナウイルス感染拡大により、今年は3月からは海外へ行っていませんし、来年もどうなることかと考えます。先生から誰にとっても人生ラストチャンスとおっしゃっていただき、私も深くうなずきます。世界の平和を実現したく生きてきました。何としてもやっていきたい気持ちがコンサートを経験させていただく度に湧いてきます。この時を逃したら、永延に時がないことも甚く感じています。ラストチャンスと考え、平和実現への道をいかに作るかは真剣勝負となっています。
コンサート会場へ向かう道は、地元の人間でなければ通らない細い道を自然と通っていました。この道は自分の庭のような道です。随分と様変わりしたことには驚きましたが、昔の名残があり、何かを拾って車を走らせているようで、肩がどっさりと重くなりました。開場し、皆様をお迎えしている時もお客様の背中にもどっさりと乗っている重いものを感じ、肩も背中も重くて苦しかったのです。コンサートが始まり、何から始まったかはよく覚えていません。突然泣きたくなり、やるせない気持ちに襲われました。何故かと問うと、内から、この因子にはハマってはいけないという内容のメッセージが聞こえました。本日のメッセージ「内面の神秘」にて「自己の命の内で何が起こっているか、あるいはどのようなメッセージを送られているかということが、現代人ではもう考えることもできなくなってしまっているのが現状でしょう。生まれつきの代々受け継がれた運命は性格とし形成されています。内面のひとつの体系としてこの大事な生涯に直接そのまま影響を与えています。単に意識的に運命を変えようとしてもうまくいかない理由でもあります。さらに、この運命を内面的に変えても、そのままでは普通いうところでの豊かな人生は成り立つわけではありません、全人類の今までの経験、体験を必要としています。この身のまま丸ごと変えて豊かな人生を歩もうと全身から湧いてくる気持ち、本音が「内面の神秘」という人によっては衝撃的な経験を通して新たな生命を得られます」
メッセージの言葉が心に浮かびます。運命はいだき講座にて解放されていますが、先祖代々身についている気性というのか、体質というのか、正確には表現できませんが、図形では黒い枠と見えました。ここにハマると永延と答えを求めるようになり何故、何故と問うことは終わることがなくなるとみえました。悪魔の罠にはまるように黒い枠にはまり、網にはまったように抜け出すことが困難になると見え、やめると決断しました。泣きたくなりやるせなくなったのは過去から受け継いだ感情と見えました。はまることなく、未来へと向かいたく、先生の演奏をしっかりとお聴きしました。すると音が生命とひとつになり、心地良く、楽しく、身を乗り出してお聴きしていました。次から次へと罠が出てきては相手にしないで先生の音を聴いていると別次元に生きる生命となりました。ただただ感動し、万歳したい気持ちでした。途中、自己の命の内で何が起こっているか、どのようなメッセージが送られているかということが考えることも感じることもできなくなってしまっているとのメッセージの言葉が心にあり続け、自分の内を感じ、メッセージを聞こうと心がけました。「世界へ」と生命が要求していることは昨夜のコンサートの時にも感じましたが、今日は真にそうであると自覚しました。父母が亡くなった後、先を作りたく、高句麗の源を辿り、フェニキアの地に辿り着き、その後、世界各地を歩く巡りが始まりました。毎月海外へいくようになり、私は行きたくもないのに、ご縁ができてしまいまた行くことになったとよくボランテイアの人に話していました。今回で終わりと言って旅立つと、出会いが起こり、また出会った人の国へ行くことになるのです。その時先生は私は行きたくて行っているのでいいけれど他の人はたまたま私に出会ったばかりに一緒に行くようになってしまったとお話しされたことがあります。その時、私が行きたくて行っているという表現が意外でならず、私は行きたくないけれど行くよりないと思っていました。今日は、先生のおっしゃる通り、行きたい気持ちが本当であったとわかりました。この類がよくあるのでした。自分のことでありながら違うように捉えているのです。今、改めて骨に聞くことが始まり、自分の内なるメッセージを心澄まし、聞くようにしています。黒く見えるものを何故と問うことはやめました。生命の声を聞くことに努めています。今日も演奏中何度も見える黒い因子を感じ、問おうとしましたが、気が狂いそうになります。今までの人間の生き方が黒く見えるのです。全ては大いなる存在に委ね、いらないものは手放していくと決め、何もなくなってもいい心境で、身を任せました。人間とし真っ当でありたい気持ちで生きていますが、過去の真っ当さでさえも新生命となった今はいらないことかもしれないとふと感じ、すべてあからさまにし、委ねました。最後は万歳し、胸ひらき、世界へ向かうと飛び立ちました。
第2部は「内面の神秘という愛」です。聴いたこともないアリランの演奏。演奏からは見たこともない美しい光景が見えました。絵に描きたい程、とどめておきたいと望む目を見張るばかりの美しい光景です。愛に満ち、人間の最も美しい姿を現す光景と感じます。白頭山の朝焼け、檀君、国生みの光景。。。魂震えるばかりです。私は最近、大きな夢に向かい大きく生きていきたいと欲しています。大きく生きる世界はこの世界と感動しました。この世界を求めていたのだと気付きました。この時の為に生きてきたのだと魂共にむせび泣きました。
一部で見えた黒い因子は2部も見え、2部では歴史の巻物を紐解いているようでした。王様が見えます。それも何人もの王様です。私は礼儀や行儀をとても気にします。昨夜のコンサートで神現れ畏れ多く、神妙に姿勢を正し、お聴きしていると、足を椅子に上げ、見た目には行儀が悪い姿が視界に入ると、足を叩きに行こうとする自分を押しとどめます。皆様にご挨拶させていただく時も、逃げるように通る人や無視するかのように通る人。。。様々ですが、礼儀のない状態に見え、落胆します。今日もコンサート前にボランテイアの人に電話した時、私からすると非常識な切り方に驚き、注意しましたが、本人は何がおかしいか自覚はありませんでした。自覚していればやらないと笑いました。仕事は礼儀がきちんとしていないと大成しないと考えています。海外にてお会いする実力者の方は、身についていることに感動しますし、私もいだきで鍛える機会があり、世界に通用できることが喜びでした。当たり前のことは当たり前にし、世界が良くなる仕事や活動がしたいと望みます。このようなことは私の内に共にある王様が私をしつけてくれているように細かく見ているのだと初めてわかりました。が、新生命となり生きる上で必要ないのであれば消えていくのだとも考えます。そのことにより苦しむことや腹が立つことが多いので、過去から受け継いだのだと感じ始めていました。次には、自分の内でどうしても抵抗するある何かがあることを自覚し、苦しみを感じました。これだけは真剣に考えました。答えは今までの愛でした。先生が表現してくださる愛は人類史上初めて表してくださる真の愛です。今までの愛は所有であったり、駆け引きがあり、作り物であり偽善であります。宗教により説かれる愛も偽りとは今になればわかるのです。世界中対先生の対決と見えました。先生の表現くださる愛を認めたら、過去の全ては崩壊すると見えました。世界中が抵抗するのは愛故であると見えます。私の内にも取っておいても何の意味がないことを知りながら壊されまいと抱えているある何かは今までの愛であったのかと驚きました。先生にお会いした頃に「人に何か言われて壊れるものなんて大したことないな」と先生がおっしゃった時、あまりに図星で吹き出して笑いました。世界中の人がこのような状態なのかもしれないと見える瞬間がありました。先生の音に抵抗を覚える人はいずれ壊れる偽物の愛より知らない人なのかもしれないと考えるととても合点がいきます。
私の内にある抵抗する全ては無くしたく、全て手放し、身を委ねます。次は後頭部に巻かれたネジが回り始めました。過去のコンサートの時に、しばしば起こる現象です。音をお聴きしていると後頭部が痺れ始め、まるで巻かれたネジがほぐれていくようなのですが、ほぐれ切らずに終わってしまうのです。今日もこの現象が始まりました。巻物を紐解くように、覆いが解かれたら何があらわるのかと秘密の玉手箱を開くように胸が高鳴りました。初めは仙人が現れました。先生にこの方の存在を教えていただいています。初めて自分でも見ることができました。そしてさらに奥深くに現れたのは高句麗王でした。見たこともない王様です。この世の人とは思えぬ美しい王です。鋭利な刃物のような鋭さがあり、繊細で、ガラスのように透明で美しい王です。先生が「高句麗始まり」コーヒーを焙煎してくださった時、今まであらわることのなかった王が現れ、これから始まる、未知なる世界に心馳せました。その王が現れてから色々なことが起こります。そのコーヒーを淹れていただいた日は、今までにないことが起こり、自分の内も今まで経験したことのない変化が始まりました。いよいよ隠された王は現れたのです。信じがたい気持ちで美しい王を受け止めました。最近「高句麗伝説」コーヒーを淹れていると、見たこともない程澄んだ透明な光が見えます。コーヒーから最も澄んだ光で生きていけるか、と問われたことがあります。今日は、美しい王と共に最も澄んだ透明な光が見えました。ふと生命の真の光と感じました。私はピンクの光ですが、先生から夜空に輝く星よりも透明な光と教えていただいています。そうであるならどれだけ、余計なものを巻きつけ、たくさんの覆いがかぶさってきたことかと歴史の重荷、闇を見ます。私が真の光のままに生きていければ、世界が待っているとはっきりと見ました。真の自分を実現する舞台は世界です。感動のままにただただ喜びあふれ、希望に溢れ、コンサートが終わりました。世界を舞台とし平和実現に向かいます。ありがとうございます。