KEIKO KOMA Webサロン

歴史の大ロマン


昨夜は、迎賓館コンサート後の幽玄なる世界のあらわれ、歴史的な満月の美しさに感動し、夜中も夜空を仰ぎ、ペンと紙を持ち、詩を書いていました。流れ行く雲の合間にあらわる満月の次元を超える美しさに魅せられました。見える図形を言葉にした時、天照と表し、身震いしました。日本の神話が蘇ると見え、日本の再生を表すメッセージに言いようのない喜びが生まれます。私は日本の神話に興味を持つことがなく、先生からお話をお聞きしても、自分の身の内のこととし、わかることがありませんでした。昨夜は身の内に天照を感じ、はじめて身の内のこととし天照について調べました。おおいなる働き、自然の生命は明日からの「高句麗伝説」にて日本人の魂が蘇り、日本の未来を作ろうと、はたらいてくださっていることを感じ、胸熱く、内から力が湧いてきます。

昨日も今朝も「全い」珈琲を淹れさせていただくと、イエスキリストの愛を感じます。今までイエスキリストの悲しみばかりを感じていた私は目が覚める経験となりました。イエスキリストの愛は世界に伝播する光景も見え、珈琲から素晴らしいメッセージを受け、流石に先生が焙煎してくださった珈琲からのメッセージは生きる要を教えてくださることに感服します。その余韻が残り、今日も迎賓館中庭にてお浄め珈琲を杯のように頂くひと時、至福感に満たされる心地良い風に吹かれ、幸せを感じます。

今日の演奏はロマンチックと感じていました。何も語らずとも、人生の悲しみも苦しみも辛さも、自分でさえも言葉に表せない心の襞までもわかっていただけることに深く感動していると、演奏が終わり、先生は暑いので、温度を下げるようにとお話くださいました。このタイミングで何故。。。としばし考えましたが、休憩の後のお話で、音は騙せるとお聞きし、なるほどと深く合点がいきました。人間が騙され放しで死んでいくとのお話も驚きながらも腑に落ちるのでした。ロマンも作った世界であるとも今日はよくわかりました。先生にお会いした時から、自分の世界を壊されると抵抗していた私に、人に壊されるような世界だったら、たいしたことはない。本当の世界であれば壊されることはない、とのお言葉が痛快に響き、笑いと共に、固い鎧を脱ぎ、手で囲っていた覆いを解きました。壊されるようなものを大事に保っていることは真ではないとはっきりとわかりました。今日も壊されるようなロマンは本当のことではないとわかり、過去の人生の様々な場面が思い浮かびます。東アジアがひとつになる道を作りたく、活動してきましたが、私が思い描いたロマンは何ひとつ実現しませんでした。随分前のことですが、韓国で開催されるオリンピックの開会式に先生の演奏を。。。とご提案くださった方がおられ、私は一生懸命企画書を書きました。当時の韓国の大統領からの贈り物とし、3枚のチマチョゴリを送っていただき、大きなロマンを抱きました。が、日本の文部大臣の失言により、反日感情が高まったという理由で全て話は壊れました。あの時の目の前が真っ暗になった感覚こそが作られたロマンが壊れた感覚と身に刻まれました。初めて中国にて「高句麗伝説」を開催した時もロマンを抱き、涙ながらに準備をし、北京の空港に着いた時、涙ながらに「ニーハオ」と挨拶しても、かすりもしない中国人に、心が曇りました。この類いのことは、たくさんあることでした。人にも期待しロマンを抱きます。が、壊れます。先生のお話が甚く身に沁む、今なのです。少し前であれば、わからなかったのではないかと考えます。演奏中はイエスキリストの愛がわかる人生であればロマンに溢れていたかもしれないと想いを馳せてもいました。今は、今まで現れでたことのない、おおいなる存在あらわれ、先生がおられます。真のロマンを経験できる人生を生きていける希望を感じます。

お話の後のアリランは、大爆発という表現が生まれてしまいます。あれだけ思い切り演奏されるアリランを聴いたことがありません。私にとっては、アリランをお聴きしている時が最もロマンを感じます。それぞれの民族の音律や、感覚、感情、文化のお話がありましたが、私がロマンを感じる音は、過去から受け継いだ感覚であると考えました。思い切りのアリランの演奏にて国家の嘘も自分の嘘もすべて引っぱがしていただき、真が現れました。心臓が爆発したと表現したい衝撃が起こり、余計な物全てがなくなり、生命の真の音が聞こえました。明日からの「高句麗伝説」にて真の言葉を表現できると驚喜しました。作りものの人生、文化、ロマンに騙され放しで死ぬことは悲しいという言葉さえも虚しくなります。生きて真をわかり、真を経験し、真を実現したいです。今日の迎賓館コンサートにて真を経験でき、助かりました。大爆発のアリランをお聴きしている時、この音を聴く為に生まれてきたと感じました。大感動です。

いよいよ明日から3日間「高句麗伝説」開催となります。八坂へと向かう道中、肝臓が重く感じ、肝臓には神経がないのに。。。という先生のお話を思い出しながら、気持ちが悪くてたまらない肝臓を感じていました。八坂の塔の前に立ち、目を閉じ、対話をしました。私は見えたままを表現したら、人が耐えられなくなるのではないかと懸念を感じていることを自覚しました。自分を表し生きていますので、誰も私が我慢しているとは思っていないでしょうが、見えたままに生きることが真であれば普段は見えたままを表していないのです。見て見ないふりをし、我慢が多いと見えました。とぼけているのです。真の自分を思い切り表し、新しい時代を作っていく為に活かしていく時であるとよくわかりました。大宇宙の中心である生命で「高句麗伝説」をさせていただきます。ありがとうございます。

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