武蔵野市民文化会館 コンサート 誠に有難うございました.。
下書きがちゃんと保存できず、投稿が遅くなりました。
会場受付で高麗さんが優しい笑顔で、北上くる?,まだ誘えない?と福島に引っ越したばかりのだからと考えてくださってる気がしました。席に着くと、こんなに大事な事を伝えられない自分が情けなくて、涙がにじみました。
2月に入ってからは、軽いぎっくり腰、後で分かったのですが、凍った雪道での転倒による仙骨骨折をしてしまいました.
そして、自分の不注意からご利用者様に骨折をさせる大事故を起こしてしまい、1週間後には私の食事介護後、暫くして容態が急変し、病院搬送の後、肺炎で亡くなられて しまいました。今まで通りの生活をしておられたら、肺炎になられる事は無かったと、ましてや、足の痛みや、熱で苦し無こともなかったと、周りの人にも言われ、自分でも、申し訳なく、施設の言われる通りの処理をしていました。
人の役に立ちたいと生きてきたのに、自分のしている事は人に迷惑をかけるだけの現実に、更に、何も考えられなくなり、ミスの連発になりました。
亡くなった次の日は、盛岡の語る会で、ただただ向かって行くだけで、受講しながら、こんな状態になり、お話する勇気はなく、先生と顔を合わせられないと隠れるように座っているのが精一杯でした。
でも、頭は大それたことをしたと思っているのですが、表面だけで、ちゃんと「いのち」として分かっていない事を認識しました。何かわからないけど、いだきの案内をするにも腰が引ける、自分の暗部です。今まで、その暗い所を知られたくなくて、隠すので、人とも、表面だけ、内面見たくない、表現したくない。そして、どこかで、いつも演技し、その気持本当?と
いつも問われいる気がしていました。
武蔵野コンサートでは、それでも参加できる、巡りに感謝でした。パイプオルガンの時、ふと亡くなられた方が先生と繋がった気がしました。
2部では、頭を占めていたこの事が、気がつくと、消えていました。早いリズムに、さっさと新しい事をしろと言われてる気がしました 。
亡くなった方の魂にも恥じない未来を創る事が私のやる事です。
施設で、何もすることなく、したくも無くなり、大して代わり映えのしない食事を3度、3度食べさせられ、残せば、「薬が飲めないから、もう少し食べて」、「水分足りないから、もう少しお茶飲んで」といわれ、便通がなければ、下剤を飲まされ、日々、体力、認知度の衰えを感じざるを得ない日々は、眠るよりない事が当たり前になり、どんどん認知症にならざるを得ない。スタッフも、入浴、お茶、食事、排泄と追われ、そしてその記録を細かく残すことて1日が終わってしまう。お年寄り、働く若いスタッフどちらにも希望はありません。
その中で、「NPOいのち」が創られるデイサービスが誠に希望です。
今は、腰のこともあり、仕事を辞めたので、一人で出来ること考え行動に移します。
武蔵野コンサートに参加でき、昨日消えてしまった書き込みには書けなかったのですが、今、書き込みをしているうちに次が見えてきました。
誠に有難うございます。これで、生きていけます。