武蔵野コンサート
武蔵野コンサートに向かう途中花の香りが漂い、薄いピンク色の花々に春が近いことを感じました。
魂のコンサートをありがとうございます。
魂の目覚めのメッセージをお聴きし、朝に目覚め外の空気を吸いそしてやる気になっても、それが本当の目覚めではないことはわかります。コンサートや様々なイベントに参加をして、一時的に興奮状態で物事をやる気になっても、魂は目覚めているのかと考えました。メッセージにあったように、他人に教えられることで目覚めることではないことがわかり、だからこそ先生はああしろ、こうしろとは言わず、自分で考え行動する自律を教えてくださっています。黙って命をかけ演奏をされている姿を見、「自分は、未だこのざまなのか」と言葉が浮かびました。世俗から超越する世界を経験しておきながらも、このざま・・という自分を考えています。
何かざわつくことや理不尽なことがあると、腹の底から怒りがこみ上げますが、最近はふとした瞬間に、何かにひっかかっている自分に気がつくようになりました。悲しみや怒りは、相手と同じ次元になってしまうことを何度も経験しています。そこから抜け出すヒントは、マーブリングの着物のようになればいいと考えました。人と比べることでない美しさ、みな違う美しい姿、それを本音というのでしょう、そう生きているのかと自問します。
またメッセージにて魂の本質は愛とお聴きし、なんとも美しい世界を人は持っているのだと不思議な気持ちでした。その美しい世界がわかるからこそ、高麗さんは作品を作り、先生は人間の為に働いているのでしょう。たとえ過去に罪を犯した人でさえも全て受け入れ、門戸を開き続けている懐の広い先生と高麗さん。魂の目覚めなくして、今年一年、そして来年からの数年を超えることが難しくなるのかもしれないと、姿勢を正します。また今の時代に猶予がないことは、コンサートをお伝えする際の人の状態にも現れ、そして以前よりも自分の微かな曇りも浮き出ていることを感じます。人はどこまでも写し鏡と考え、わからない見えない世界は先生に全てお任せします。身体の余計なものが焼かれるように熱く、内面からがらりと変わることができた2時間でした。
今週末は北上コンサート、そして311、仙台と続きますが、東北出身の友人、東北以外の友人そして家族とともに皆で参加させて頂きます。何卒よろしくお願い致します。