次元が変わり
昨夜から奈良に取り憑かれたようにとにかく無事にたどり着くようにと道を調べ、どのルートで行くかを調べとそのことばかりで頭がいっぱいでした。何度も行きましたが、迷わずに行けたことがほとんどなく、今日こそはと備えました。ナビによりいつも間違ってきましたので、自分で行くよりないという気持ちでした。無事に着けただけで今日のコンサートは無事と安堵するほど、行く道から緊張し、何が出てくるか、気を抜けない何かがあります。同時に薫る香りから高麗縁の地は地名を見る前にわかります。今日も急に清々しくなり、さわやかな風が吹き、懐かしく感じていると木津川を通り、下狛、上狛とこまの音でよむ地名でした。
私的には高句麗色と見える着物を着させていただき、万全にと備えました。今日の先生の演奏も音も昨日の琵琶湖とはまるで違いました。毎日同じ訳はないことは重々わかりながらも正直戸惑いを隠せません。次元が変わったのだと詩を詠み、気づきました。今日は、奈良に着いた頃より、聖徳太子の香りがしました。なつかしく感じ、奈良もコンサートの動員活動でかなり色々な地を歩いたことを思い出します。つくづく人生は本当に不思議なものと考えます。今までは見知らぬ地であるのに、隈なく歩く縁があるのです。コンサートのチケットを販売する動きは、真にその土地のことがわかります。今日の奈良の街はとても暗く見え、目が見えづらい状態でしたが、それ程に世界中の魂も霊魂も集まってきたのだと本番となり暗く見えた理由がわかりました。本番中は肩も重く痛んでいました。
今日は朝に新五女山コーヒーを淹れた時に東明王様からのメッセージで改善すべきことを指摘していただき、挑戦しました。好太王様の詩を詠んだ時と最後のバリトンサックスから登場した存在は蒼い光を纏う存在でした。真理と私が見える世界です。最後の存在は、おおおいなる存在、宇宙の生まれる3段階前と辿り着きました。畏れ多い「高句麗伝説」でした。終演後も戸惑い、途方に暮れました。まるで次元が違うのです。見える世界も次元が変わっています。肩、背中の重荷もとれました。今日からこの世界で生きることを身につけていくのです。宇宙と交信していることが見え、終わった後は背中から鳥肌が立ち、やがて全身に鳥肌が立ち、震えました。なんということでしょうか。まだその体感が在り続ける今夜は言葉にすることが難しいです。
琵琶湖ホールでも帰る時に車に乗ろうとした時、さわやかな風が吹きました。このように皆と世界を確実に変えていけるコンサートを開催できることは幸せと感じ、生命の内に喜びあふれます。今日も奈良の会場に着くと、出迎えてくれるスタッフの生命が喜んでいることがそのまま感じられます。思わず、皆幸せそう、と言うと、先生は自分だったら率先して行うとおっしゃいました。生命が真に喜ぶことは、世界を変える歴史的なことに関わる時と私も感じています。琵琶湖の畔にて何度も講演会もしてきました。何がある訳ではないのですが心がときめいてならず、未来に良いことがあると感じてなりませんでした。昨日も湖からの風を受け、このような活動ができ幸せと感じました。空間を変え、大地まで変わり、世界全体を変えていける一大イベントを開催できますことは真に喜びあふれます。この喜びが見えるがままに未来に良い実を生みますことを願います。3日間、共に経験してくださり、ありがとうございます。関わる人に戦のように生命ひとつでいきましょうと表現する度に「高句麗伝説」の場が「生命ひとつ、愛」を経験する場であると、活動の原点に戻りました。「生命ひとつ、愛」を世界へ発信しようとはじめたのです。正にその場であったと今更ながら原点に気づき、新たなスタートとなりました。ありがとうございます。