標準化からの脱却
府中でのコンサートをありがとうございました。
新しくなろうとしても、意識的には新たになっていけず、先生の音と交わり、内面が変化してはじめて新たに変わっていけることを改めて経験させていただきました。この経験なくして、イノベーションは起こせないと感じます。
親の基準、学校の基準、社会の基準、どこにその基準値や標準値なるものがあるのかを理解して、常に優良に外側から要求される自分になっていく訓練を散々おこなってきた過去が、間違いであったとはなかなか認められず葛藤しました。社会の中で勝ち組、負け組という言葉があるように、いつも勝ち組であるようにと競争に挑み、嫌な人間になっていくと自分自身に対して嫌悪感を感じました。自分はそうであると認めるよりないのです。先生の演奏からは、人間がつくる社会の滑稽さを感じました。なぜなら、この宇宙のどこにその標準的なことが存在しているのだろうかと問われるように感じたからです。宇宙の星や惑星は、無数でありながらひとつひとつは個性的であり、さらに美しい調和を奏でる存在に涙しました。あまりに優しいことを経験し、初めて、この標準化した社会の競争にさらされる日々は、緊張に強いられていることに気づきました。個性的に生きられる空間においては緊張とは無縁のとてもやさしい状態にありました。宇宙の真理を探究する人間という本当に美しく素晴らしい存在に涙しました。ひとりひとりが宇宙の真理を探究し真をわかっていく人生を歩んでいければ、世界は平和になると感じました。戦争をして人の生命を奪っていくことなど、宇宙の美しいこと、人間の素晴らしいことを理解したら、できないですし、やろうとも思わないと感じるのです。標準化された社会の基準を理解したうえで、自分はあえてそのことを無視して生きていくその一歩が踏み出せそうです。
経験として理解してゆけるかけがえのない機会があることに心より感謝いたします。