楠の木の下で
昨日と一転し、青い空が広がり、爽やかな風が吹く高知の地にて、先生のコンサートの日を迎えることができました回りをスタッフと感じるままに話し合いました。35、6年前に初めて高知に来ました。30年以上経った今、高知の地に立ち、さわやかな風に吹かれ、楠の木下でビデオ講演会をさせていただき、その後、皆でコーヒーをいただきながら、円陣を作り立ち話をしました。今後の動きについて話し合いました。とても豊かな楽しいひと時でした。楠の木の下で語り合ったことは生涯忘れることはないと感じる豊かな不思議な語り合いでした。今後実践していくことで、一人一人が生まれてきた意味、存在する意味を実現していくのだと受け止めました。水の流れる建物を歩いているだけで、心洗われます。素敵な場所でコンサートを開催できることが楽しみでした。
第一部「聖なる空間へ」
「「聖なる空間」をそのまま顕せる場所と時に感謝です。何か事があるごとに「聖なる空間」よりどんどん離れていく人々の姿に悲哀を感じます。実は何か事あるごとに「聖なる空間」はこのいのちに働きかけ接して「いのちのちから」になるのです。単に信じても真剣に信じてもどうなるものでもありません。欲に囚われたら、さらに「聖なる空間」は遠くなります。「聖なる空間」にこそ生きる術があり一般的にいう奇跡の源です。」
第2部「動く水」
「水が動くように動く。当たり前の動くという言葉です。動かずに人生を見失うことがあります。とりあえずの目的、目標を目指して動くということもあります。大抵は人生という長い時にはつまずきます。「動く水」により我々は動きを知ります。「動く水」はどんどん澱みを浄化し更に先へと動き、忘れてしまっているかに見える魂まで浄化します。人の水のような動きは、体内で健康とエネルギーに満ちた「いのちのちから」になります。水の中に浮かぶような当会館で理解した「動く水」です。感謝です。」
聖なる空間をそのまま顕せる場所と時に感謝です、から始まりますメッセージをお聞きし、先ほどまで歩いていた会場に流れる水の清々しさがそのまま蘇りました。同時に、高知とのご縁は古木であったと思い出します。懐かしくて涙が滲みました。随分長い間、離れ離れとなってしまったような申し訳ない気持ちと再びお会いできた喜びで涙しました。聖なる空間とは大きな木がある空間とふと感じ、古代より大きな木があるところに偉人が生まれると聞いていたことも思い出します。メッセージに書かれていますように、大きなコンサートが終わると人が離れていくのは何故なのかとは活動をする中で不思議でならないことでした。真に悲しみを感じます。演奏をお聞きし、聖なる空間に居れないある何かがあるように見え、どんなであっても居れることのありがたさが生命染みました。私の生命の内では、聖なる空間がずっと共にありました。ありがたくてたまりません。どんな時も共に在ってくださっています。聖なる空間とは大きな木であり、国を作る神の働きとも感じ、生きていれることに感謝よりなく心地よい演奏をただひたすらに聴かせていただきました。
第2部は、生命の内に「動く水」が動いていました。ずっと動き続けています。これからはこのように動いていけば良いのだと「動く水」を感じ続け、覚えようと音のままに聴かせていただきました。楠の木の下で話し合ったことは「動く水」のように動くことで実現すると見えました。話したことが実現するようにどう動くかをすぐに教えていただき、大変ありがたいことと感謝します。「聖なる空間」を経験させていただき、聖なる空間から外れるように落ちていく人や状態が見え、悲しみは拭えません。胸の内に分断されていく悲しみがあります。生きるということは罪を重ねる様なものなのかと、10代の頃に感じていた罪意識が浮かび上がります。自分ではその時その時一生懸命やったつもりでも、所詮は部分であったと気づく時、なんて愚かなのかと恥ずかしくなります。何かをすれば、次には愚かさに気づきます。そんなことが浮かび上がった時、分断された状態が次元が変わる時に、落ちた人も外れた人も人間とし生きていける次元が見えました。その時、「人類すべてを救済する」との声が聞こえ、光景まで見えました。瞬時に涙ほとばしり溢れます。私は、自分だけ助かっても罪を感じる感覚が先生にお会いする前からありました。キリスト教にて「信じるものは救われる」との聖句を読み、文字通りの意味ではなかったのかもしれませんが、信じない人も救われないのかと質問したことがあります。人間全ての人が救われる道はないのかといつも求めてきました。人類すべてを救済するとの声にこれこそ求めていたことと涙し、安堵しました。先生に出会い、運命解放され、夢にも見ることのなかった人生が拓かれました。コンサートでは、愛を経験させていただき、無上の喜びを感じています。自分だけ経験させていただくことには罪意識を感じてしまい、たくさんの人にお伝えせずには心苦しくてたまりません。今日の人類全てを救済への道が見えたことには喜びあふれ、涙し感動しました。
アンコールの演奏では悲しみを乗り越え、愛を実現する生き方を感じ、感動の涙、涙となりました。深い悲しみを知る人間は愛も深いと感じられる時、どんな時も共に合ってくださる大いなる存在、聖なる存在が共にあることを生命で感じ、人間とし生きていけると安堵します。今日も終演後のロビーは活気に溢れ、喜びあふれていました。新しい息吹が生まれています。出会いの源の存在に再会でき、長い間失礼してきましたことへのお詫びと共に過去の失礼を今後の動きで挽回できます機会を与えていただきましたことに深く感謝します。生命があるということは、過去は今に融合し、生きる力と変わることに申し訳なさとありがたさに胸いっぱいとなります。楠の木の下で、今日から新しいスタートと話しあったことがコンサートで全て受容していただき、新しいスタートができる心身を養っていただき、大変ありがたいです。たくさんの方々と高知で集え、これほどのコンサートを共に経験でき、嬉しいです。ありがとうございます。