森の道
毎朝歩く、お堀端に沿うようにある道は、大きい木におおわれてまるで森の中のようです。今朝はその森の道にさしかかるところ、朝陽を浴びてふと思ったのが、あの時、悪代官が非難され、イエスキリスト様が、大衆に受け入れられていたら、と仮定しても、その後の人類史がどうだったか想像も出来ませんが、人が無念に死ぬことはなかったのではないかと思います。しかし今はいだきしん先生がおられます。愛と平和のエネルギーで空間を満たしてくださり、ご自身は存在を現されています。そして今、私は自らのすることを自問します。
昨日の朝、目が覚めると、「遺言」と言葉が浮かび、改めて遺言を用意しました。また、「大きな土鍋」と言葉があり、何で?と思いながらも買いに走りました。何を意味するのか?日頃から欲しいと思わなかったからです。気になったことをしてみる日でした。野田陽子