梅雨空に
弘前高句麗伝説聴く会の開催ありがとうございました。乗り換え駅で、偶然腕をお貸しした盲目の青年にお仕事していますか?ガイドですか?と尋ねられ、これからどこへと尋ねられ、六本木のカフェで上映会に、映像のない聴く会とお答えし、はっとしました、常に映像のない世界で生きていること、先生の音を聴かせてあげたいとカードを差し上げた駅の雑踏の中でひかりが射し、次の場所でのお知らせは、及び越ではない始めての言葉になりびっくりしました。
高麗屋さんの天井から降り注ぐ高麗さんの音声はダイナミックに、楽器も運び込まれたように響き身体中を揺るがし、、おいしい珈琲、スィーツを戴き、尊いお話しの場にもつたなくも参加でき、特別な新しい経験となり、嬉しかったです。
応用コースでのお話しから、親としては失敗でも、次の世代への可能性、おばあちゃん学を要所でと、たった一夜の七夕かざりをし、憂う死について懇願され、いつまでも元気で、と書きました。 梅雨空に威勢のいい花火があがり、消えゆくはかなさと、新たな力を得ました。個人のこともあきらめないで、との先生のお言葉が沁みてきます。。。高麗さんの文章、ビデオ講演会にて 偶然のスケジュールの諺通り、頭でセーブしている事は勘違いとなって、背中を押してくださってる様に。 中心を目指し沿ってゆかなければ、生きて伸びてゆくには、と問い、実践していきます。 いだきしん先生 高麗恵子さん 連なる全てに
日々にありがとうございます。飯島 高子