桜道
昨日、やっと裏山の桜を見に行く事ができました。とっくに桜の盛りは過ぎ、人もまばらの中をひとり歩く桜道。今のマンションに引っ越して以来、毎年12年間欠かさずに桜道を歩いた裏山には、亡き父と愛犬との思い出が詰まり過ぎていました。毎朝眺めては散ってしまうと思いながらも、一人歩く勇気がありませんでした。それなのに昨日の泣きたくなる程綺麗な青空を見ていたら、自然と身体が向かっていました。裏山への階段を一段一段上って振り返ると、いつも帰り道にずるして階段ではなく側道を歩いていた愛犬が蘇ります。光こぼれる階段道は、まるで知らない別世界のように見えます。たくさん並んでいた桜の木も大分まばらとなってしまい、年月が経ったことを物語ります。桜の花びらが風で舞う道をゆっくり歩きました。不思議ですね。花見と言えば、花盛りを狙って毎年行くのが当たり前だと思っていましたが、こうして歩く桜道にはまるで異なる美しさを発見しました。散りゆく花、生まれる葉、風、光、空、あらゆるものが時を超えて空間ひとつとなり、確かなる存在として顕れています。何てやさしいのでしょう。ふっと振り返り、小さな愛犬の目線で屈んで見て驚きました。地面に映る桜の木の影が、散った花びらを満開に咲かせている美しさ。今まで見たことがない光景です。愛犬がいつも教えてくれた小さな発見を、私は今も見つけているのだと気づき、心から嬉しく涙が溢れます。桜か散ってしまう前に行けて本当によかったです。ありがとうございます。