桜かがやく時
美しい桜の花にくもりない輝きあり
ふと、かつては桜の花が咲き、そして空間に花びらが舞うころ、かなしみに包まれた感覚がなつかしくおもいおこされ、かなしみをなつかしんでどうするのか、という心の声もつきあがります。
びわ湖ホールの最寄駅を降りた途端、ザーッと雨が降り、会場についた途端、空に陽光さし、湖のほとりにでれば鮮やかな虹がうっすらと生まれ、育ちはっきりと輝きました。
友が沈む湖水にかつての悲しみはなく水が動き、様々な光に輝きます。
びわ湖ホールコンサートであらわれた見たことのない光は輝きを増しながら最高の慶びと共にフィナーレを迎え、湖の水も更に動きを増し、輝ききっていました。
高句麗伝説上映会では水の中にいる感覚からはじまり、いつも悲しかった水の中にも光かがやき一人の女性から始まる新しい人類史とこれからの人類史をつくられるお方と一つの軸とつらなり、京都高句麗伝説から三鷹高句麗伝説、そしてその先へとはっきりと示される光の道に他の未来はないことが明示されます。
上映会サロンが終わる時、これだけの経験をさせていただき、動くよりない状況で覚醒しなければ落ちるよりないことを
誰よりも気にされるお方はそれさえが「我」とおっしゃいますが、パッと会を締め、五女山城の凄まじいリズムと共に猛スピードでDM作業を指揮され、指揮といってもいらっしゃるだけで士気高揚し、あっという間におわって国創りのコーヒーを配られるとサッと次のお仕事に向かわれ、素早い動きを身につける経験をさせていただきました。
ありがとうございます。