桐箱「ことばはいのち」
応用コースでのピアノの音が、お臍の辺りに響き渡ります。手術して以来、私のお臍は一つのバロメーターとなり反応します。澱のように溜まったものが、光が流れるように流れていきます。前に進む事、何がどうであれ前に進めばいいと力を与えて頂きました。人の事も分かったら、それでいいのだと教えられます。いちいちそれを「嫌だねぇ」「やっぱりね」となぞらうこともないのです。自分がそうでなければいいだけと、先生のピアノから気づかされました。
先生が「一人一人の表現が、ショートステイやデイケアを生んだ」と仰った時、見えるものがありました。今は会社勤めだからコーヒーを売る事ができないと思い込んでいましたが、そうではないと見えたのです。今できることは何かと考えれば、たくさんあることに気づきました。マーケティングの在り方が見えます。今年のお餅つきの日に、先生の桐箱で頂いたのは「ことばはいのち」です。高麗倶楽部でも、応用コースでも、いえずっと先生は言い続けてこられた言葉です。毎日朝晩SNSに投稿する私に対し、コンサルの方が「大変ではないか」と言われた時、「自分の表現の場であるから、言葉が生まれる限り大変ではない」と答えていました。一人でも多くの方にコーヒーをお伝えしたいと、コンサルを受けた結果、色々なものが見えました。義務でやる事程辛いものはなく、続かないことは明らかです。正に「ことばはいのち」の表現なのです。今できること、やりたいことが見えてきました。先生のお話から、どこを狙うのか、ニーズの掴み方が分かりました。新しいビジネス、売り方も見え隠れし始めた今です。一つ一つ言葉に表し、始めてみます。ありがとうございます。