核心に迫る一日一日
久しぶりに偶然にもえりかちゃんに会え、一辺に春が来たように、心が明るく、晴れ、とても嬉しい気持ちで一日が始まりました。今日の新五女山アイスコーヒーもとっても爽やかで、清々しい美味しさに感動しました。真剣勝負の講座に備えていますので、ニュースは隈なく読んでいますが、テレビのニュースは見る時間もなくなり、やることばかりを考えられる日々となりました。解決に向かい頭を働かさなければ生きていることにならないことに今更ながら気づくのです。長年の癖と表現してきたことは惚けであったり、誤魔化しであったと気づくこともできました。生きるか死ぬかと考えれば、癖などと言っている場合ではなく、改善よりないということを目がさめるように気づくのです。今この時のアントレプレヌールサロンは、どなたに出会っているかをわかれば自分の生まれてきた意味も先生に出会えた意味もわかり、人間とし最高の人生を生き、世界に役立てるということが深くわかります。私はお腹の底では、普通の人生を生きることはなく、世界を変えていける人生と確信する揺るがぬ核があるのです。が、時々、まさかと疑う頭があり、頭で体を壊すということがよくわかります。昨日も今日も先生の人生をお話くださり、奥様が愛ちゃんが生まれる前に、東京へ行くことをお話くださったので、私は今生きていられると実感した時、ギリギリのところで生命助けられた途轍もない人生が見え、身が震えました。そして、生後3ヶ月の愛ちゃんを連れて私に会いに東京にきてくださったお話を今日もお聞きした時、先生からお電話をいただいた瞬間のことが思い出されました。よく覚えているのです。まさか私のような人間に弘前から会いに来てくださる訳がないと思い込んでいたのです。まさか、とより受け止められなかったことは今でもよく覚えているのです。この時から自分のことを疑う癖があったのかと今日気づきました。一昨日の講座にての経験により、癖ではなく病気とし考えるようになったので、いかに生命の働きに反しているかが見えるようにわかりました。自分を疑うことは、私をそのまま受け容れてくださった先生と奥様を疑うことになってしまうという恐ろしいことも気づきます。受け容れていただいた生命、自分自身を自分も受け容れ、活かしていくことが人間としてやるべきこととわかります。そして今この時は内面に少しの曇りがあっても闇に入り込まれ、闇に呑まれることを毎日経験しています。徹底し内面を綺麗にすることが生きる道を作ると生命をもってわかります。時代はいだきで学び、経験させていただいた方向で生きてこそ、生き延び、世界の役に立てる時代となっていることもわかります。生きるか死ぬかで考えれば判断は早く、明瞭です。レバノンに行っていた頃、レバノン人の素早い動きに感動しました。カフェでも私がウエイターを探そうとしただけで、すぐに飛んでくるのでした。いつも早送りビデオを見ているようでした。レバノン人は、家を一歩出ると死ぬかも知れないので、右に行くか左に行くかで、生きるか死ぬかの判断になるので、判断を間違えば死んでしまうと言いました。今の時期は、大切な生命を守ること、判断を的確に動くことがとても必要と身にしみます。生命感覚を養うことが生命の危機管理であることを日本中の人に伝えながら、先生のコンサートにて生命感覚を養う経験ができますとお伝えし、日本中でコンサートを開催してきました。生命の内に余計なものがなければ、生命が生きるために働いてくれているままに生きるように判断し、動けます。運命というこれ以上ない程の余計なものを解放していただいた生命です。自分で余計なものを作らずに、生命のままに生き、世界の為に役に立つ働きをしたい気持ちばかりが湧いてきます。
先生は核を無効にすることをお考えになり、いだき講座を公開してくださいました。私は、このことは根源解決となるとはっきりと見えます。核の無力化とお聞きするだけで生命の内は涙が流れます。人間とし真の自分を活かし、輝き生き平和な世界を創っていけるように働きたいです。「突破する生命とならねば。。」と叫ぶようにおっしゃってくださったことが心に沁み在り続けます。何かをすると必ず限界にぶつかるので、突破していくということを心に、限界にぶつかったら突破することを考えます。ありがとうございます。